~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅴ-Ⅲ』 ~ ~
 
==平家物語の女性たち==
著:永井 路子
 
恋 人 た ち
 
2018/06/17
祇王 祇女 仏御前 (五)
やがてその年の秋のある夜 ── 。
かすかなともしびのまわりに集まった三人が、ひそやかに念仏をしていると、表の竹の網戸をほとほととたたく音がした。
「まあ、誰でしょう」
三人は思わず顔をあわせた。
「何か魔性のものが来て、私達の念仏の邪魔をしようというのでしょうか。昼さえ人も訪れぬこの小さな一つの家、どうせ防いだとしても竹の網戸では、やすやすと押し破られてしまいます。それならむしろ開けてやりましょう。もし命を奪おうというならそれもよし、今は私たちをお救い下さるという阿弥陀あみださまの御本願を信じて、お念仏を唱えるよりほかはありませぬ。諸々もろもろの仏様は、その念仏の声を聞いて、お救いにいらっしゃるといいますから、きっといらっしゃって下さるでしょう」
そう言って、お互い念仏の声をはげましながら、戸を開けると、なんとそこにたたずんでいたのは、仏御前だったのである。
「まあ、あなたは・・・・・」
おどろく祇王の前で、仏は泣く泣く言った。
「私はもともと、すんでのことで西八条のお屋敷を追い出される所を、あなたさまのお力で召し返されたもの。それがあのようなことになってしまい、女の身の悲しさは、清盛公に押して反対することも出来ず、心ならずも、あのお屋敷にとどまってしまったのです。でもあなた様がこの間またおいでになって歌われたあの今様の文句、心にしみて悲しゅうございました」
じつはあの時、仏御前は、祇王が粗末な部屋を与えられたと聞いて、
「まあ、あんなところではお気の毒、こちらへお呼びしては」
ととりなしたのだが、清盛はそれを聞き入れなかったのである。
仏御前はさらに続けた。
「清盛公に寵愛を受けても、ちっともうれしいとは思いませんでした。あなたが出て行かれるときに書きつけられたあの歌、『いづれか秋にあはではつべき』という筆の跡、ほんとうにその通りだと心にしみました。あのあとお行方ゆくえもわからずにおりましたが、世を捨ててこうしていらっしゃると聞いて、もう矢もたてもたまらなくなってしまいました」
仏御前は、清盛の所を辞したいと願ったが、なかなか許しが得られなかった。
「けれどもこの世の栄華は一時の夢、思い立った時に仏縁を得られなければ、あるいは地獄に堕ちてしまうかも知れませぬ、若いといっても頼みがたいのは人の命 ── そう思って、今朝お屋敷を忍び出て、こうしてまいりました」
と言いながら頭からかぶっていた着物をのけると、すでに彼女は髪を切り、尼の姿になっていたのである。
「こうなった以上は、どうぞ今までの罪はお許しくださいませ。もしお許し頂けるなら、一緒に念仏をさせて下さい。もしお許しが得られないとならば、これからどこけでも行って念仏をして一生を終わろうと思います」
その言葉を聞いて祇王も涙をおさえながら言った。
「そうとも知らず、私はあなたをお恨みしていました。これも世の定めだと思いながらも、どうしても心の底では悟りきれなかったのです。これでは往生もおぼつかない、この世でも不幸だったけれども来世もうまくゆくまいと思っていたのですが、今のお話を聞いた上はもう露ほどの恨みもありません。これで私も清い心となって往生できます。じつは私たちが尼になったことを、世の中でも例のないことだと言い、私たちも内心そんな気がしていたのですが、考えてみれば、私たちのように不幸になった者が出家するのは当たり前のこと。あなたのように幸福の絶頂にある方で、まだ年も十七というのに、ここまで悟りの境地に到達なされたことこそおみごとです」
かくて、四人は一つの庵に籠って、朝夕念仏を唱え、のちにはそれぞれ心静かに往生したという。
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