~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅴ-Ⅲ』 ~ ~
 
==平家物語の女性たち==
著:永井 路子
 
恋 人 た ち
 
2018/06/17
祇王 祇女 仏御前 (四)
果せるかな西八条に出かけた祇王は、ここで、さらに残酷な経験をしなければならなくなる。
一人では心細いので妹の祇女やほかに二人の白拍子を連れて行ったが、通されたのは、昔住んでいた部屋ではなかった。ずっと下った身分の低い者の通る部屋に通されて、さすがに悔しく、涙をおさえていると、清盛から声がかかった。
「祇王、その後はどうしているか。仏御前が、退屈している様子だ。さあ、今様でも歌ってみせよ」
覚悟してここまで来た以上、何と言われても拒むわけにはいかない、と決心して、祇王は涙を押さえて歌った。
仏もむかしはぼんぷ (凡夫) なり我等も ついには仏なり
    いづれも仏性ぶつしやうせる身をへだつるのみこそかなしけれ
(仏も昔は人間であった。われわれも悟りを開けば、やがて仏になる身である。人と仏と ── いずれも仏性をそなえているのに、差別されることは何と悲しいことか・・・・・)
この歌のもとの歌は
仏も昔は人なりき 我等もつひには仏なり
  三身仏性具せる身と 知らざりけるこそあはれなれ (梁塵秘抄)
というのであるが、それを祇王は少し変えて、清盛が自分と仏御前を差別待遇することの悲しみを歌ったものらしい。
涙ながらにこう歌う声を聞いて、なみいる人は思わず目頭を熱くした。が、当の清盛は、このとき、全く彼女の心の中に気がつかなかったのか、上機嫌で言った。
「なかなかうまく歌ったな祇王、ついでに舞も見たいが、ちょっと今日は用事がある。まあ、今後は呼ばなくとも来て、歌を歌い、舞を舞って、仏御前を慰めてやれ」
祇王はさすがに返事も出来ず、涙をおさえて退出した。帰るなり、祇王はこらえていた悲しみをぶちまけた。
親の言いつけにそむくまいと思って、つらいつとめに行ったものの、これほどまでの恥ずかしめにあうとは・・・・この先もこうして生きていたら、また悲しい目にあわなくてはなりませぬ。もう今は身を投げて死ぬよりほかはありませぬ・・・・」
妹もその言葉を聞いては黙っていられなかった。
「お姉さまが身を投げるのなら私も・・・・・」
母のとぢ・・は涙を流しながらかきくどいた。
「よもやそれほどのことがあろうとも思わず、行くことをすすめた私が悪かった。許しておくれ。お前達が死んでしまって於いた私が生き残っても何にもならない。一緒に死にたいと思うけれど、私が死ねば、お前たちに親殺しの罪を負わせることになる。考えてみれば、この世は仮の世、恥をかこうとかくまいと何のことはないが、あの世まで罪を背負ってゆくことが悲しい。親殺しの罪を犯したら、後の世でまたどんなに苦しむことか」
言われて祇王もやっと自殺だけは思いとどまった。
「たしかに親殺しは五逆の罪の一つ。では死ぬことだけはやめます。でもこうして都にいれば、またつらいめにあうにきまっていますもの、都にはいたくありません。都の外へ出て住みましょう」
ときに祇王は二十一、惜しげもなく俗生活を捨てて尼になり、嵯峨野さがのの奥に移り、小庵を構え、念仏三昧ざんまいの生活に入った。続いて十九の祇女も、四十五になる母のとぢ・・も出家し、専修念仏に明け暮れる身になった。
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