~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅴ-Ⅲ』 ~ ~
 
==平家物語の女性たち==
著:永井 路子
 
恋 人 た ち
 
2018/06/16
祇王 祇女 仏御前 (三)
清盛の屋敷を立ち退くまでは、彼女もけなげに気を張っていた。人から後指をさされまいとして、部屋の片づけにも念を入れた。が、わが家に帰り着くと、張りつめていた気持ちがいっぺんにくずれ、わっと泣き伏すばかり。母や妹が何とたずねても、答えることが出来ない祇王であった。
こうなると、母のもとに清盛から送られて来た百石百貫の仕送りも絶えた。しかも彼女が清盛の屋敷から出されたことは、たちまちにうちに都中に知れ渡ってしまった。
「それなら、ひとつ祇王を呼んで遊ぼうじゃないか」
物珍しさが先に立って、使いをよこす者、手紙を届ける者などが多かったが、いまさらその相手になって遊び戯れる気にはとてもなれない。
そのうちに年が変わって春になると清盛の所から珍しく使いが来た。
「その後どうしているか。仏御前が退屈しているようだから、そなたも来て、今様を歌ったり舞を舞ったりして、なぐさめるように ─── 」
なんという言いぐさであろう。祇王がどんあに苦しんでいるかを全く考えに入れない無慈悲な、無神経な命令である。さすがに返事も出来ないでいると、また追いかけて使いが来た。
「いったい来るのか来ないのか。なぜ返事をしないのだ。もし来ないというなら、こちらにも考えがあるぞ」
これを聞いた母は泣きながら妓王にいいきかせた。
「まあ、そなた、ともかく御返事だけはした方がいいのじゃないかい?」
祇王はかぶりを振った。
「行くつもりがあれば御返事もしますが、私は始めから行く気がないのです。今度のお使者で、来ないなら考えがある、とおっしゃる所をみると、都を追出すのか、それとも殺すおつもりなのか・・・・でも、今となっては都を追出されてもかまいませんし、命だって惜しくないのです。いったん清盛公に嫌われた私、もう二度とあそこへは参りたくありません」
平清盛という人のイメージを祇王はすっかり消してしまいたかったのだろう。が、母はむしろ、その決心を恐れたようだ。
「でも、この世に住んでいる以上は、やはり清盛さまのお言いつけに背いてはねえ。だいたい男女の縁というものがはかないことは、今始まったことではない。千年万年も一緒にと約束した二人がまもなく離れてしまうこともあるし、かりそめの契りと思ったものが、案外一生続くこともあるもの。あなたは清盛さまに思われて、三年もお屋敷にいたというだけでも稀有けうなこと、深い御情けと思わなければなりませんよ。お召しがあったのに行かないからといって、よもや命を奪われることもないだろうけれど、やはり都の中からは追出されるでしょうね。まああなた達は若いからそれでもいいだろうけれど、こんな年になって、れぬいなか住いは、私にとってはつらすぎます。私への孝行だと思って、いまか住いだけはさせないでおくれ」
こまで言われては、祇王も母の言葉に逆らうことも出来ず、泣く泣く西八条の清盛の屋敷に行く支度をした。
言葉のうわべだけ見れば、ひどく自分勝手な母親である。娘がこんなに苦しんでいるのに、その気持ちをわかってやらず、いあなか住いはしたくないから、清盛の所へ行けというのは、随分無理解なような気もする。
が、じつは母には母の考えがあったのではないだろうか。
── 愛する娘の身の上にもしものことがあったら・・・・・。
ひそかにそれを案じたからこそ、わざと、
「親に孝行すると思って ── 」
と言って行くことをすすめたのかも知れない。また祇王もそこまで言われては母の言葉にそむくことも出来ず、泣く泣く、清盛の屋敷に出かけて行く決心をした。このときの様子を、『平家』は、
なくなくまた出立いでたちける心のうちこそむざんなれ。
と書いている。何気ない言葉だが、ちらりと暗い未来を暗示させるものがある。「むざん」とは痛ましい、気の毒という意味だが、母の娘にためによかれと思ってすすめたのであろうが、それに従って、苦しみを秘めて清盛の屋敷に出かけようとする祇王の心の中こそ痛ましい、というのである。
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