~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅴ-Ⅲ』 ~ ~
 
==平家物語の女性たち==
著:永井 路子
 
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2018/06/16
祇王 祇女 仏御前 (二)
ところで、仏御前は、今様の名手だった。
君をはじめて みるおりは 千代もぬべし ひめ小松
   おまへの池なる かめをかに 鶴こそむれゐて あそぶめれ
美声は聞く人々の耳をとろかし、清盛も大いに心を動かされたらしい。
「ほう、こんなに今様がうまいのなら、さぞかし舞も見ごたえがあろう。一曲見てやろうか」
もちろん舞はお手のものだ。仏御前はここでも完全に清盛を魅了してしまった。
仏が舞終わったとき、清盛の心はすっかり変わっていた。ほんのちょっと前まで、
「顔も見るに及ばぬ、帰れ」
と言っていたのに、この気まぐれな王者は、年若な舞姫の手をとらえて離そうとしなかったのである。
「仏よ、かわいい奴、これからずっとわしのそばにいるがいい」
言われてかえって仏御前はうろたえる。
「何とおっしゃいます。私はもともとおしかけて参りました者。いったんお屋敷から出されたところを、祇王御前のおとりなしで、こうして舞を見ていただくことが出来たのです。なのに、私がこのまま、ここで御寵愛を受けることになりましたなら、祇王御前がどうお思いになるか、そう考えただけで恥ずかしくなってしまいます。どうか、早くおいとまさせて下さいませ・・・・」
ドライな舞姫ではあったが、仏御前が考えていたのは、芸の世界だけのことだったのだ。
── 天下の舞姫として、清盛にも認められたい。
そうは思ったが、祇王から清盛の愛を横取りすることまでは考えていなかったのである。むしろ、そんなことになったら祇王にすまない、としきりに拒んだのだが、わがままな王者はきかなかった。
「いや、いかん、帰ることはならん。もしや祇王がいるのに遠慮してそういうのだったら、祇王を出してもいいぞ」
ますます仏御前は困ってしまう。
「まあ、そんなこと・・・・・一緒にこの御殿にいることだって困りますのに、私一人だけがいるようになったら、それこそ祇王御前が何とお思いになるか・・・・もし私をお忘れにならなかったら、またお呼び下さい。とにかく今日は帰らせて下さいませ」
が、それでも清盛は仏御前を帰そうとはしない。
「いや、絶対に帰ることはならぬ。かわりに祇王こそ出て行け」
急な心変りである。

── 遊び女の常として、いつかは捨てられる時が来るのではないか・・・・・。
心の中でひそかにこう思っていた祇王ではあったが、よもやこんなに突然に追い立てられるとは思っていなかった。が、今はまったく心の離れてしまった清盛は、
「早く出よ」
しきりにそう言って責めたてるので、部屋の中を大急ぎで取り片づけ始めた。こんな時にも悲しみをおさえて、後で物笑いにならぬようにと心づかいする祇王の姿が哀れである。『平家』はこの時の彼女を
(掃)きのご(拭)ひちり(塵)ひろはせ、見ぐるしき物共とりしたためて・・・・
と書いている。が、ともあれ、三年の間、清盛の寵愛を受け、豪奢ごうしゃな暮らしをしたところだけに、いざ出て行かなければならぬとなれば、さまざまな思いが胸にこみあげてくる。涙ながらに祇王はふすまに一首の歌を書きつけて立ち退いた。
もえいづるも か(枯)るるも おなじ野辺の草 いずれか秋に あはではつべき
春になってもえ出る草も枯れる草も、みな同じ野辺の草であってみれば、どれも秋にあわないですむはずはない。── 今、仏御前は寵愛を受け、私は捨てられるけれども、いずれ野辺の草のようなはかない命 ── いつかは飽きられて枯れてゆくのだ・・・・・人間のはかなさをこう祇王は詠嘆したのである。
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