~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅴ-Ⅲ』 ~ ~
 
==平家物語の女性たち==
著:永井 路子
 
恋 人 た ち
 
2018/06/15
祇王 祇女 仏御前 (一)
『平家物語』の中で、いちばん名の知られた女性は? と聞かれたら、私はためらいなく祇王ぎおう祇女ぎにょをあげたい。
が、実を言えば、彼女たちは、『平家』本筋の女主人公ヒロインではない。彼女たちの登場する「祇王」の巻自体が『平家』の本筋から離れたもので、『平家』が作られた当初はなかったのではないか、とさえ言われているくらいなのだ。彼女たちはあくまでも脇役である。ではなぜ、彼女ら脇役たちが、かくも人気があるのか、まずその人間像をさぐってみよう

彼女たちは白拍子しらびょうしだった。白拍子というのは、平安朝末のそのころもてはやされた舞姫である。その名称について『平家』は、鳥羽天皇の時から始まり、水干すいかんたて烏帽子えぼし白鞘巻しらさやまき太刀たちをさして舞った男舞であったが、のちに烏帽子、太刀をとって水干だけで舞うようになったので白拍子と言った、と説明している。水干というのは当時の庶民の男子の普段着で、多く白で作ったから、すなわち白拍子だというのである。
また一説には、白拍子とは、言語的には無伴奏の拍子という意味だともいうが、有名なしずか御前は、鎌倉へ下ったとき、つづみふえ銅拍子どびょうしの伴奏で舞っているから、現実の白拍子の舞は、必ずしも無伴奏でもなかったようだ。
ともあれ彼女たちは、こうした芸を売り物にする舞姫だった。妓王、妓女の母もとぢ・・
(刀自) という白拍子だったというから、二代続いたすいの踊り手だったのであろう。

その芸の見事さに目をつけられて、やがて祇王は、時の最高権力者、平清盛の屋敷に迎えられ、寵愛を受けるようになる。それにつれて妹の妓女の人気も高まり、当時の都を代表するスターの座にのしあがった。清盛は、とぢ・・のためにも家を作ってやり、しかも毎月米百石、銭百貫を与えたので、母子三人は物質的にも恵まれ、しあわせな毎日を送っていた。
いわば祇王・祇女ブームである。こうなれば、彼女たちをうらやむ者、そねんで悪口を言う者が出て来るのは世の常である。
「あれはきっと、祇という名前が縁起がいいのだろう」
と、これにあやかりたいと思う連中は競って祇の字をつけたり、
「何で名前によるものですか、あれはただ前世からの約束でしあわせに生まれついたのよ」
という者もあり、とかく彼女たちは都に話題をまき散らした。


ところが
三年ほどたつと、また新人が現れた。加賀の国の生まれで年は十六、ほとけという名のその少女は、たちまち都の人気者となり、
「これほどの舞の上手はなかった」
というほどの評判を取った。
こうまでちやほやされると、仏御前の望みもふくれあがる。
「私もずいぶん有名になったけれど、天下に県政を誇る平清盛さまに呼ばれないのは残念なこと。遊びのならい、別に呼ばれないところへ出かけて行ったってかまやしない、ひとつ清盛さまのお屋敷におしかけてみましょう」
いかにも年若い、世間知らずな、現代っ子とでもいった感じの気負いにあふれた仏御前である。こわいもの知らずで、西八条にある清盛の館に出かけて行った。
が、この気負いは、もろくも崩された。せっかく出かけた仏を、清盛はすげなく追い返そうとしたのだった。
「遊び女というものは、呼ばれてから来るものだ。げんに、ここにこうして祇王がいる以上、『神』だろうが『仏』だろうが、出入りは無用、さあ、とっとと帰れ」
顔も見ずにそうわめいたのである。
 
天下の権力者にこう言われてしまってはおしまいだ。自信をくじかれて、すごすごと引き返そうとしたとき、祇王がやさしくとりなした。
「呼ばれもしないでもおしかけるのは遊び女のならい。しかも年もまだ若く世間知らずなんですもの、深い考えもなく、ふっと思い立って出かけて来たのでしょう。すげなく帰されては、あまりかわいそうです。わたくしも同じ白拍子、人の事とは思えません。舞や歌はともかくとして、ただ会ってだけおやりになさったら?・・・・」
清盛もお気に入りの祇王の言葉に、
「まあ、そなたがそんあに言うなら・・・・」
と、仏御前を呼び戻す気になった。すでにがっかりして車に乗って出ようとしていた彼女が、急いで戻って来ると、清盛は言った、
「とうてい会ってやる気にはなっていなかったのだが、祇王が何を思ったか、しきりに勧めるので引見してやるのだぞ。さあここで今様いまようの一つも歌え」
今様というのは、「当世風」ということでその頃流行していた歌のことである。当時はこれが大流行で、現代のロックかなにかのように一世を風靡ふうびしていた。宮廷側の最高権力者であった後白河法皇も、若い頃からこの今様の大ファンで、昼も夜も歌いまくって、しまいには喉がつぶれてしまったことも何度かあったという。今残っている今様はみんなのどかでみやびやかで、どこに人を狂わせるほどの魔力があるかと思えるが、とにかく当時は、人の心を酔わせてしまう、不思議な歌として、流行していたらしい。  
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