〜 〜 『 寅 の 読 書 室 Part X-U』 〜 〜
== 『般 若 心 経』==
2017/09/05 (火) なぜ写経をするのですか。
昔はお経の伝達手段でした。また写経は、大変功徳になることです。
写経というのは、お経に対する接し方のうちで
読経
(
どきょう
)
と共に盛んですが、本来は五種の修行といいまして、
読
(
とく
)
、
誦
(
じゅ
)
、
解説
(
げせつ
)
、書写、
受持
(
じゅじ
)
ということをいいます。
読はお経の文字を見て読むこと、誦は 「
暗誦
(
あんじゅ
)
」 といいまして、お経を見ないでそらんじること、解説はお経の解釈を学んだり、人に説くこと、書写というのがいわゆる写経で、受持は常に身近において親しむことです。これは 『
法華経
(
ほけきょう
)
』 に出てくる説ですが、何経でもあり方は同じことです。
とりわけ写経ということは、修行であると共に、印刷手段のない時代では、お経を自分のものにするためには、書写するよりほかなかったわけです。つまり、書写は伝達の手段です。できあいの経本をただポンと持って来るようなわけにはいきません。かつては、
入唐
(
にゅうとう
)
した
弘法大師
(
こうぼうだいし
)
や伝
教大師
(
でんきょうだいし
)
なども、皆で手分けして何年も何か月もかけて書き写したものを、荒海を超えて命がけで持ってこられたわけです。
海ばかりではありません。以前真言宗のある管長様が、中国のシルクロードのほうまでいらしたとき、見渡す限りの砂漠をご覧になって 「アア、こんなところやヒマラヤの高山やらを何年もかけて
玄奘
(
げんじょう
)
三蔵
(
さんぞう
)
様がお経を持って来られたのだと思うと、あだや
疎
(
おろそ
)
かに 『
般若心経
(
はんにゃしんぎょう
)
』 ひとつでも唱えられない気持になった」 と言われていました。
そんなわけですから、お経を書くということには、実は歴史的にも大変重要な使命があったわけなのです。また、お経を読むのはその時だけのことでおしまいですが、写経しておれば誰もが見ること、読むことも出来るのです。考えようによっては写経さえしておれば、何千何万という人が、未来永劫にわたってそのお経を見たり読んだりすることが可能なのです。ですから、お経を書写しておくということは、大変功徳になることだと考えられたわけです。
また、書写したお経には一種の不思議なパワーがあると考えられました。ですから、何らかの目的のために書写するということも、よく行われたものです。京都の
曼殊院
(
まんしゅいん
)
(
竹内
(
たけのうち
)
門跡
(
もんせき
)
)
には、
後奈良
(
ごなら
)
天皇
(1496〜1557年)
が、天下の平和と
飢饉
(
ききん
)
の終息を祈願して、全国六十六か所に奉納された
紺紙
(
こんし
)
金泥
(
きんでい
)
の 『般若心経』 の写経のひとつが修蔵されています。当時は戦国時代の始まりのころで、天下の人々の争いと、同時代に起きた飢饉とのふたつながらを憂えられて書写されたといいます。また、写経は人々だけでなく神々にも奉納され、各地の神社には今も多くの写経が残っています。
写経をするときは、あくまで写すという気持が大切です。この写すというのは、お経の文字を書き写すことにより、お
釈迦
(
しゃか
)
様の
み教え
(
・・・
)
を自らの内に写していただくという意味です。この心が大切ですから、書経といわず写経というのです。写経を通じて、お経の心を自分の心に写すようにいたしましょう。
『実践 般若心経入門』 著:羽田 守快 ヨリ
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