〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part X-U』 〜 〜
== 『般 若 心 経』==

2017/08/30 (水) 

せつ はん にゃ はゃ みつ しゅ  そく せつ しゅ わつ
ぎゃ てい  ぎゃ てい   ぎゃ てい   そう ぎゃ てい

   はん にゃ しん ぎょう
(書き下し)ゆえ に般若波羅蜜多のしゅ を説かん。すなわ ち説きていわ く、
羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提薩婆訶 般若心経
(現代語訳)ゆえにまさに知るがよい。般若波羅蜜が大いなる威力いりょく
呪文であることを。
比べるものなき呪文であり、等しきものなき最高の呪文で
あることを。
その呪文とは、次のごとくである。
ギャテイ ギャテイ ハラギャテイ ハラソギャテイ ボウジソワカ
われわれは、彼岸ひがん へ行くのではない。般若の功徳くどく により、行かせていただくのである。
『般若心経』 をひたすら唱え、親しむことで、おのずから功徳が積まれていく。

いよいよ最後です。まず 「このさと りの智慧ちえ聖句せいく をここで告げる」 というような呼びかけがあり、以下に 『般若心経はんにゃしんぎょう 』 のしゅ 、つまり真言しんごん が説かれるわけであります。
この真言はだいたい、「行こう、行こう、みんなで行こう。あの悟りの岸へ。成就じょうじゅ あれ」 などというような意味に訳されることが多いようです。その内容は、訳す人によりどれも少しずつ違いますが、まず大同小異といったところのように思います。しかし梵語ぼんご の専門家の話によれば、これらは本当のところを言うと、正確には訳せないのだというのが正しいらしいのです。
確かにギャテイとは 「行く」 という動詞らしいのですが、ただの 「行く」 ではなくて、受動完了形になっているそうです。ですから、あえて訳すなら 「行かされてしまった」 のような変な文句になってしまいます。この受動形というところは、とても気になります。つまり 『般若心経』 は、従来言われてきたような、般若の智慧ちえ を説明した哲学的なお経であるというようなものではなく、般若の信仰を説くお経なのだと思うからです。
このため般若の功徳くどく により、 「彼岸ひがん に行かせてもらう」 という受動的な表現であり、決して 「行く」 とか 「行こう」 という能動的な表現ではないのだと思います。つまり、般若波羅蜜はらみつ のご利益りやく により、彼岸に行かせていただくのです。ここでいう般若波羅蜜は、まだ密教の 「般若仏母ぶつも 」 のような、明確な仏としての性格を持っては登場していませんが、それでも般若波羅蜜が、実践する対象から礼拝する対象へと変化しつつある過程のもの、しかももう、かなり後者よりのものと考えていいと思うのです。

『実践 般若心経入門』 著:羽田 守快 ヨリ
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