〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part X-U』 〜 〜
== 『般 若 心 経』==

2017/09/01 (金) 

実際、密教の登場を待たず、すでに 『大智度論だいちどろん 』 において般若波羅蜜は 「諸仏の母」 とされています。 『大智度論』 についてはすでにご紹介しましたが、大乗だいじょう 仏教八宗の祖といわれる龍樹りゅうじゅ 菩薩の作と言われているものです。この人は、二世紀から三世紀頃にかけて活躍しました。密教は七世紀頃に登場しますから、およそ四〜五百年の開きがあるわけです。そのなかには 「般舟三昧はんじゅざんまい 」 を以って諸仏の父、般若波羅蜜を以って諸仏の母として、般舟三昧はよく心の乱れを治め智慧を得られるが、般若波羅蜜のように諸法の実相を観察かんざつ することは出来ない」 と、掛かれております。
般舟三昧とは、行の名前です。この三昧が成就しますと、仏が出現して目の前に立つことから、仏立三昧ぶつりゅうざんまい とも言われます。
『般若心経』 には般若仏母は登場しませんが、そのかわり提示されているのがこの真言です。この真言こそが、 『般若心経』 のいう結論的に帰依きえ すべきものなのです。ですから 『般若心経』 は密教経典ではありませんが、この点、思想的にはかなり近いものがあります。言ってみれば 『般若心経』 すべてが、ひとつの長い真言と考えてもよいわけです。真言ですから、たとえその教えを解析出来なくても、ひたすらお唱えすれば、おのずと不思議な霊験れいげんあら われます。
弘法大師こうぼうだいし が 『般若心経』 を密教的に解説した 『般若心経秘鍵ひけん 』 を著したのも、無理はないのだと思います。大師自身が密教の立場から見て 「ア、なんだ、これは密教じゃないか」 と思われたのではないでしょうか。
また天台密教の方でも、慈覚大師じかくだいし 円仁えんじん という人が密教を大成し、 『法華経ほけきょう 』 『般若経』 などの大乗経典は、その教理は密教であるとして 「理密教りみつきょう 」 といっています。こういうと、ますます真言の意味が気になるかも知れませんが、信仰のうえからは、真言の意味などはさほど重要ではありません。たとえば、リンゴをいくら分析して成分を調べてみても、食べなければその味は分かりません。逆に、食べさえすれば、分析結果など知らなくても、味はすぐに分かります。しかし、それを分析的に説明せよといわれても、困るものです。
また、真言の意味だけを聞いて、すべて分かったような気になるのも感心しません。こう言っては何ですが、真言の意味など、あまり大したものでないことが多いのです。たとえば弁天様のご真言は 「オン・ソラソワティ・エイ・ソワカ」 というものです。この意味を見てみると、最初のオンは私は信仰します、帰依します、という意味で、南無阿弥陀仏なむあみだぶつ南無妙法蓮華経なむみょうほうれんげきょうの 「南無」 と同じです。ソラソワティは、弁天様の名前です。弁天様は、もとはインドの河の女神で、名をサラスヴァティといい、この音が変化したのです。また、ソワカは 『般若心経』 でも呪の最後の部分に出てきますが、ものごとの成就を祈願する聖句dす。つまり、弁天様のご真言を訳しても、 「南無弁才天心願成就」 というような意味でしかありません。
しかし密教では、真言の文字である梵字ぼんじ 自体がひとつひとつ、そのまま仏を表し、聖なるものとしますから、大切なのは意味内容ではないということになります。言語からすれば意味不明の真言もありますが、信仰的にはそこに問題はありません。
さらにいうなら極端な話、今まで解説してきたような 『般若心経』 の内容を一切知らなくても、信仰の上ではまったく何の問題もないのです。また、内容を知ったからといって、ご利益がよくなるというものでもありません。意味があるとするならば、仏道修行を志す在家の人に、さらなる関心を持っていただけるなら、ということだと思います。仏道修行とは、単なる信仰から一歩出て、自らの内に真理を探究することです。何かの効果を期待することに終始することではありません。
そして何よりも 『般若心経』 は頭で理解するのではなく、唱え親しみ、書写していただきたいお経です。そうすることによって、日々おのずから功徳が積まれ、皆様の未来がより明るいものになることでしょう。
『実践 般若心経入門』 著:羽田 守快 ヨリ