能
除じょ 一いつ
切さい 苦く
真しん 実じつ
不ふ 虚こ
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(書き下し) | 一切の苦を能よ
く除き、真実にして虚きょ ならず。 | (現代語訳) | 般若はんにゃ
に対する信仰を持てば、 いっさいの苦しみを取り除くことが出来る。 般若波羅はら
蜜多みつた は、真実にしていつわりがない。 |
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般若への信仰を持つことこそが、苦悩を退けることにつながる。 むずかしいことは知らなくても、人は信仰を持つことで、強く生きることが出来るのである。 |
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「一切の苦を能よ
く除く」 とありますが、これをただ 「般若はんにゃ
の智慧ちえ を悟さと
れば、一切の苦悩が去る」 と、表面的に読むことは出来ないと考えています。特別何も考えず、ただ字面じづら
だけを追ってそういう訳文を載せている本もあるようですが、実際に仏道修行して般若の智慧を得るというのは、人生一般の苦悩を解決するより、はるかに難しいことであると思われるからです。ですから私はこの一節を、
「般若に対する信仰を持てば、一切の苦悩が去る」 と解釈しています。つまり、般若への信仰こそが、苦悩を退けることにつながるのです。 こういうとなんだか迷信じみているという人もあるでしょうが、そういう人は信仰の力を御存知ないからだと思います。何も霊験れいげん
的なことがなかったとしても、人は信仰を持つことで強く生きることが出来るのです。 仏教では、信仰する対象は三つに分類されます。つまり仏、法、僧です。仏とは観音かんのん
様とか、阿弥陀あみだ 如来にょらい
、不動ふどう 明王みょうおう
などのいわゆる仏様です。目的があって信仰する場合は、その願いによって本尊が異なる場合もあります。法とは、教法のことです。たとえば念仏とか題目、光明こうみょう
真言しんごん などがこれに入ります。また経典信仰、つまり
『般若心経はんにゃしんぎょう
』 への信仰もこれに入ります。僧に対する信仰は、弘法大師こうぼうだいし
、日蓮上人にちれんしょうにん
、親鸞聖人しんらんしょうにん
などに見られるものです。 『法華経ほけきょう
』 とならび 『般若心経」 は、古来最もよく信仰されてきたお経であります。四国や西国、坂東、秩父といったところの霊場めぐりでも 『般若心経』 は欠かさず唱えられたいます。現代では、改まって
「私は 『般若心経』 を信仰しています」 という人はあまりいませんが、実は断然、拝まれているのです。これは何を信仰するにしても、よくこのお経があげられるためで、みな意識しないままに
『般若心経』 信仰をしているのです。ですから、具体的に 『般若心経』 の霊験譚たん
というのはあまり耳にしませんが、 『般若心経』 をあげてお参りした結果得たものすべてが 『般若心経』 の霊験といえば、いえなくもないのです。 |