〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part X-U』 〜 〜
== 『般 若 心 経』==

2017/08/30 (水) 

のう じょ いつ さい  しん じつ
(書き下し)一切の苦を く除き、真実にしてきょ ならず。
(現代語訳)般若はんにゃ に対する信仰を持てば、
いっさいの苦しみを取り除くことが出来る。
般若波羅はら 蜜多みつた は、真実にしていつわりがない。
般若への信仰を持つことこそが、苦悩を退けることにつながる。
むずかしいことは知らなくても、人は信仰を持つことで、強く生きることが出来るのである。
「一切の苦を く除く」 とありますが、これをただ 「般若はんにゃ智慧ちえさと れば、一切の苦悩が去る」 と、表面的に読むことは出来ないと考えています。特別何も考えず、ただ字面じづら だけを追ってそういう訳文を載せている本もあるようですが、実際に仏道修行して般若の智慧を得るというのは、人生一般の苦悩を解決するより、はるかに難しいことであると思われるからです。ですから私はこの一節を、 「般若に対する信仰を持てば、一切の苦悩が去る」 と解釈しています。つまり、般若への信仰こそが、苦悩を退けることにつながるのです。
こういうとなんだか迷信じみているという人もあるでしょうが、そういう人は信仰の力を御存知ないからだと思います。何も霊験れいげん 的なことがなかったとしても、人は信仰を持つことで強く生きることが出来るのです。
仏教では、信仰する対象は三つに分類されます。つまり仏、法、僧です。仏とは観音かんのん 様とか、阿弥陀あみだ 如来にょらい不動ふどう 明王みょうおう などのいわゆる仏様です。目的があって信仰する場合は、その願いによって本尊が異なる場合もあります。法とは、教法のことです。たとえば念仏とか題目、光明こうみょう 真言しんごん などがこれに入ります。また経典信仰、つまり 『般若心経はんにゃしんぎょう 』 への信仰もこれに入ります。僧に対する信仰は、弘法大師こうぼうだいし日蓮上人にちれんしょうにん親鸞聖人しんらんしょうにん などに見られるものです。
法華経ほけきょう 』 とならび 『般若心経」 は、古来最もよく信仰されてきたお経であります。四国や西国、坂東、秩父といったところの霊場めぐりでも 『般若心経』 は欠かさず唱えられたいます。現代では、改まって 「私は 『般若心経』 を信仰しています」 という人はあまりいませんが、実は断然、拝まれているのです。これは何を信仰するにしても、よくこのお経があげられるためで、みな意識しないままに 『般若心経』 信仰をしているのです。ですから、具体的に 『般若心経』 の霊験たん というのはあまり耳にしませんが、 『般若心経』 をあげてお参りした結果得たものすべてが 『般若心経』 の霊験といえば、いえなくもないのです。
『実践 般若心経入門』 著:羽田 守快 ヨリ
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