〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part X-U』 〜 〜
== 『般 若 心 経』==

2017/08/31 (木) 

どうもインドでもそんな感じであったようで、 『大智度論だいちどろん 』 のなかにこんな話があります。
ある人が 『阿弥陀経あみだきょう 』 と 『般若経』 とをあげていたときです。つまり、阿弥陀如来を信仰していたのでしょうが、同時に 『般若経』 もあげて供養していたのでしょう。この人は臨終時に阿弥陀如来と聖衆しょうじゅ に迎えられ、また死んで火葬にされても、その舌は焼けることなく残ったといいます。
舌が残るというのは、 『般若経』 を唱えたため、舌に霊験が宿っているという発想なのでしょう。少し気味の悪い図ですが、このように舌だけが残るという霊験譚は、日本にも見受けられます。
また、平安初期の弘仁九年 (818) 、全国に疫病が大流行した折、弘法大師の指導によって嵯峨さが 天皇 (786〜842) みずから 『般若心経』 を写経され、疫病えきびょう 退散を祈誓きせい されたという話が、 『古今著聞集ここんちょもんじゅう』 にあります。今でも大きな写経道場がある京都・大覚寺だいかくじ心経殿しんぎょうでん には、この時に納められた嵯峨天皇真蹟しんせき の 『般若心経』 が残されています。
さらに、平安時代に成立した 『今昔物語集こんじゃくものがたりしゅう 』 には、中国のお話としてこんな面白いエピソードが紹介されてます。仏教が大嫌いなお婆さんがいたそうです。この人は、中国古来の神様をたいそう熱心におまつ りしていました。このお婆さんにとって。異教の宗教である仏教は、怨敵おんてき のよなものだったのでしょう。ある時、一頭の牛が迷い込んで来ました。お婆さんは、これは日頃信仰する神のご利益りやく と思って喜び、逃さぬよう牛の鼻輪を帯でくくったところ牛は驚き、帯を引いて逃げ出しました。逃してはならじと追いかけて行くと、牛は寺に入り込みました。そこでお婆さんも牛欲しさに、やむなく大嫌いなお寺に入りましたが、何せ仏教が大嫌いですから、目をちむり、顔をそむけて入ったというのです。
それを見た寺の坊さんたちは、そのありさまがかえって哀れに思え、 「南無大般若波羅蜜多経」 と唱えました。 「これはたまらない」 と、お婆さんは寺から飛び出して水辺へ行くと耳を洗い、 「ああいやだ、今日はろくでもない不吉な経典の名前を聞いてしまった」 と、三回も言い捨てて家に帰りました。お婆さんは、それからほどなくして病で亡くなりました。残された娘は大変悲しみましたが、ある日、娘の夢に死んだお婆さんが出て来て 「わたしはこれまでろくなことをしてこなかったので、閻魔えんま 様の前に出た時は随分心配したが、閻魔様は、お前は般若経の名を聞いたことがあるから、それが福分おなっていると言われた。わしはそのおかげで今は天界にいるのだ」 と語ったそうです。娘はこのことがあってから、深く般若経と仏教を尊崇そんすう したといいます。
この話は、実は長野県の 「牛に かれて善光寺ぜんこうじ 」 の由来となっている話なのですが、ここに出てくるお婆さんのように、嫌々でも般若の名を聞くだけで功徳くどく になるのだから、まして熱心に信仰する者の功徳は計り知れない、と結んでいます。
これらはみな、説話にすぎませんが、説話はただのつくり話ではなく、信仰のあり方や功徳を伝えるという大切な役割を持っています。難しいことは知らなくても、ご利益だけならいただけます。むしろ難しいことを考えて迷うより、その方がご利益はいただけるものだと思います。真実しんじつ 不虚ふこ とは、文字通り真実にして間違いのないという意味です。この言葉に素直に手を合わせられる人は幸いです。
『実践 般若心経入門』 著:羽田 守快 ヨリ
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