大神呪
も大明呪だいみょうしゅ も、無上呪むじょうしゅ
も無等等呪むとうどうじゅ も、賛嘆の言葉です。これらの言葉自体には、大して深い意味はありません。あえて訳せば、不思議な真言しんごん
、この上ない真言、等しいもののない素晴らしい真言という意味であります。 今 「真言」 と言いましたが、これは密教的な言い方です。顕教けんぎょう
、つまり密教以外の教えでは 「呪」 というのが一般的です。前にもお話しましたが、密教というのは、指を組んで様々な印いん
をつくり (身しん
) 、口に真言を唱え (口く
) 、心に仏の姿を観想すること (意い
) により、即心成仏そくしんじょうぶつ
する教えです。いってみれば一種の神秘思想でして、この印や真言や修法しゅうほう
については原則として秘密であり、必ず阿闍梨あじゃり
という密教の師からの伝授が不可欠です。密教とは、衆生しゅじょう
が知らない如来の秘密を伝えるものですが、そいうあり方のうえでも秘密の教えなのです。 それにしても、即身成仏とはまた大変な教えです。古来、生まれ変わり死に変わりして、三阿僧祗劫さんあそうぎこう
という途方もない時間がかかるとかかると言われていた悟さと
りの完成が、何とこの身このまま、この時に出来るというのですから。これは顕教、つまり密教以外の一般の仏教を信仰する人たちにとっては、大変な驚きです。この教えを体系立てて、完成した形でわが国にもたらしたのは、真言宗祖の弘法大師こうぼうだいし
空海くうかい です。 伝説では、宮中の清涼殿せいりょうでん
において、 「そんなことが出来るわけがない」 という南都六宗の高僧たちの目前で智拳ちけん
の印を結ぶや、たちまち五色の光芒こうぼう
を放って大日如来だいにちにょらい
の相を現したので、なみいる高僧たちは思わず伏し拝んだというのです。即身成仏が成ったといっても、あくまでも内的な境涯きょうがい
ですから、外見的にこうした変化が現れる必要はまったくないのですが、空海の達した境涯が何となく伝わるエピソードではあります。 |