〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part X-U』 〜 〜
== 『般 若 心 経』==

2017/08/20 (日) 

けい  
(書き下し)?礙けいげ なきがゆえ に、恐怖のあることもない。
(現代語訳)こだわりのない自由な境地を得ているから、何かを恐れる心もいだかない。
恐怖は無知より生まれ、無知は無明むみょう より生まれる。
般若はんにゃ は無明の闇を照らし、無知を除き恐怖を除く。つまり、自在でいられるのである。
心が自由だと、恐怖心が起きて来ないものです。ところが何かに固執している人は、恐れるようなことが起きる以前に自分で想像して、まいってしまうのです。考えるに、恐怖心ほど人を害するものはありません。強い恐怖心にさいなまれると、実際に物事が起きる前に、衰弱してしまうのです。
また、人は恐怖心を持ちますと、凶暴になります。たとえば得体の知れない怪物のようなものに出くわした時、武器さえあれば、息の根が止まったと納得するまで攻撃するかも知れません。その際、その怪物が無害かどうかは頭にありません。相手が何をするか分からないという恐怖心に支配されてしまうからです。これと同じことで、人間同士であっても、相手のことをよく知らないと恐怖心が起こります。
これは国と国でも同じでしょう。たとえば今、世界の中を見ますと、アメリカとイスラム教の国々は対立的な関係にあります。現時点では、もうほとんどアメリカの勝利のようなものですが、イランの人たちはアメリカを脅威としていますし、イラクやアフガニスタンでもそう思う人たちによるテロが絶えません。これはひとつには、お互いを理解できない異教徒や異民族として見ているからでしょう。そしてそこには、お互いを恐れることにより生じた憎しみがあるのでしょう。お互いに通じ合うものがないと思い込みますと、最後にはこうなります。
歴史を見ますと、つい二〜三百年前まではおこの国でも、自国と対等の付き合いのない国の人は人間ではないというくらいに思っていたものです。アフリカから大勢の人をさらって来て、かせ をつけて奴隷どれい にするようなことを、今の民主主義の宗家そうけ のような国がしていたのです。それもやはり、相手を知らなかったからでしょう。また、知ろうともしなかったのでしょう。お互いに人間としての生活があり家族があり、自分たちと何ら変わるところはないのだと知れば、そんなことは出来ません。
ですから、世界の人がお互いに相手を知ろう、知りたいというようににならねば、戦争もテロもなくならないと思います。軍備をすべて撤廃しようが、憲法にたとえどんあに戦争しないと決めてあろうがなかろうが、戦争もテロもなくなることはないでしょう。起きる時は起きるものです。戦争は外にあるのではなく、常にわれわれの内に巣くっている問題なのです。
『実践 般若心経入門』 著:羽田 守快 ヨリ
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