無
苦く 集しゅう
滅めつ 道どう
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(書き下し) | 苦集滅道もなし | (現代語訳) | 個の悟りのみを求める声聞や縁覚のような阿羅漢たちが大切にしてきた仏教の教えもまた、存在しないのだ。 |
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ここでは、お釈迦しゃか
様の生前、原始仏教の教えの中心であった八正道はっしょうどう
が否定される。 『般若心経はんにゃしんぎょう
』 が成立した時代には、すでに様々な流派があり、価値観も多様化していた。 |
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「苦く
集しゅう 滅めつ
道どう 」 というのは 「四諦したい
」 といいまして、 「苦諦くたい
」 「集諦じつたい 」 「滅諦めつたい
」 「道諦どうたい 」 を略したものです。 これも仏教の基本中の基本というべき考えです。諦は真理という意味ですが、
「あきらめ」 とも読めるのが、何ともやりきれず象徴的です。 前にも少し触れましたが、人生は苦しみに満ちているというのが仏教の見方ですので、これを 「苦諦」
と言います。次の 「集諦」 とは、この世の中が五蘊の集積であることで、これは 「五蘊皆空」 の説明でも触れました。 「滅諦」 とは、その苦を離れるには、煩悩ぼんのう
を滅尽めつじん しなくてはならないこと。これも申しました。
「道諦」 とは、そのための方法で、具体的な方法としては 「八正道はっしょうどう
」 という生活の仕方が提唱されています。 八正道は、前の十二因縁いんねん
が縁覚えんかく という階級の修行とされるのに対して、声聞しょうもん
、つまりお釈迦様の説法を聞ける直弟子たちの修行法とされてきたもので、正見しょうけん
、正思しょうし 、正語しょうご
、正業しょうごう 、正命しょうみょう
、正精進しょうしょうじん 、正念しょうねん
、正定しょうじょう の八つをいいます。ここでいう
「正」 の意味は、具体的に何を指しているのかはわかりませんが、要はものの見方、考え方、語る言葉、行動、生きる姿勢、努力のあり方、感情や情動のコントロール、禅定のあり方について細心の注意をはらうよう指導されていたのです。 |
「四諦」
と 「八正道」 |
四 諦 | 苦 諦 | 人生は苦しみに満ちているという真理 | 集 諦
| この世は五蘊の集積であるという真理 | 滅 諦 | 苦から離れるには煩悩を滅する必要があるという真理
| 道 諦 | 煩悩を滅するには修行の道があるという真理 |
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八
正 道 | 正 見 | 正しく物事を見ること | 正 思
| 正しく物事を考えること | 正 語 | 正しい言葉で語ること
| 正 業 | 正しい行いをすること | 正 命 | 正しい生活を営むこと | 正
精 神 | 正しい努力をすること | 正 念 | 教えを正しく心にとめること | 正 定 | 正しく瞑想を行うこと |
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この八正道は、原始仏教では教えの中心でありました。しかしここでは、
「苦集滅道もなし」 と、あっさりと否定してしまうのです。それはなぜでしょうか。 生前のお釈迦様は、八正道を中心に、それぞれのお弟子に直接アドバイスしていらしたのだと思います。どれが正しくどれが正しくないかは、それこそ教団で指示を受けているうちに、だんだん理解していったことでしょう。 そして、お釈迦様の亡くなられた後は、何が正しいかの判断は、いくつにも枝分かれしていったのです。こうした解釈の違いから分裂が起き、部派仏教が生まれました。僧侶中心の
「上座部じょうざぶ 」 も、のちに大乗仏教を生み出す素地となった
「大衆部たいしゅうぶ 」 も、歴史的には部派仏教の一派です。何が正しいかということは、流派により、また指導者によりまちまちであったのです。だから、多くの異なった仏説の中から、修行者が自ら選択しなければならなかったのです。 『般若心経はんにゃしんぎょう
』 が生まれたのは、お釈迦様が亡くなられたから数百年という年月が経過した時代でした。この頃はすでに上座部系の部派と、大乗仏教を標榜ひょうぼう
する部派の二大流派がありましたし、その中でもまた、考え方にいろいろな差異はあったものと思います。つまり、解釈が多岐たき
のわたり、統一的な見解というものがなくなったのです。かつては原始仏教の中心であった八正道という修行法が、肯定的に扱われなくなっていったのも、無理はないことだと思います。 八正道の規範をひとつ求めるとするなら、中道ということだと思います。つまり、楽に流される生活も、苦行に身をさらす生活も、正しくないということです。それでも現代人から見れば、お釈迦様の教団は、かなり楽より苦の方がまさったところのように思います。 当時の仏教教団が、どの程度の苦行をしたかはよく分かりません。すでに十大弟子のところでお話しましたが、天眼てんげん
を得たという阿那あな 律りつ
尊者そんじゃ などは、どうしてそうなったかといいますと、お釈迦様の説法の席で居眠りして、厳しく叱られたことによるのです。彼は二度と居眠りしないため、毎日眠ることなく眼を見開き続けて、ついに失明したのでした。ただ、その代わりに天眼通という神通力じんずうりき
を得て、天界から地獄までも見通したといいます。 これなども、お釈迦様が 「お前は居眠りしたのだから罰として以後、眠ってはいけない」 などと言われたのではないのですが、言われなくても厳しい反省を自己にしているような、はなはだ苛烈な雰囲気のある教団だったのかも知れません。 眼が見えなくなった阿那律が縫ぬ
い物をしようとして 「だれか福徳を積みたい者は、私のために針に糸を通しておくれ」 と言ったところ、お釈迦様がスッと阿那律の手から針と糸を取って通され 「私が福徳を積みたいのだよ」
と言われたという話もあります。厳しい中にも温かい師弟の絆きずな
が感じられるお話ではありませんか。 |