乃
至し 無む
老ろう 死し
|
(書き下し) | ないし老死もなく | (現代語訳) | 生きて死んでいくことも本来は存在しないし、 |
|
老死とは、無明むみょう
から始まる十二因縁いんねん の一段階で、人の生は、この循環の中にある。 初期の仏教では、瞑想めいそう
によって無明を断ち切ることで、輪廻の輪から脱しようとした。 |
|
この 「老死ろうし
もなく」 というのは、単に老衰や死がないということではなく、実は 「十二因縁いんねん
」 の否定なのです。 「十二因縁」 とは、無明むみょう
からはじまり老死に至る十二過程で、いわば人の一生に比定ひてい
されるものです。十二過程を具体的に申しますと、無明、行ぎょう
、識しき 、名色みょうしき
、六処ろくしょ 、触しょく
、受じゅ 、愛あい
、取しゅ 、有う
、生しょう 、老死
ろうし ということになっています。 順に簡単に説明しますと、人は
「無明」 につき動かされて行動します。無明とは明らかでないこと、仏教的に言えば、この世界は無常であることをいまだ知らない状態にあることです。無常を知らないが故に、目に見えるものへの執着
しゅうちゃく が出てきます。ここから苦しみというものが生まれるのです。このような状態を無明というのです。 この無明をもとに起こす具体的な行動が
「行」 です。この場合の行とは、執着にもとづく行為ですから、業 ごう
と同意語であります。この業こそが、人間を輪廻 りんね
転生 てんしょう の輪の中に押しとどめる最大の要因でもあります。そして行は
「識」 に因縁の種をおろします。つまり、われわれは前世のいろいろな因縁を持ち越して、肉体を得て誕生してくるわけです。これが 「名色」 にあたります。そして誕生後は、眼・耳・鼻・舌・身・意の六つの感覚器官を使って外界に接触します。この働きが
「触」 にあたります。この六つの感覚器官から様々な情報が入ることが 「受」 。そうすればそこに当然、好悪 こうお
が生まれます。これが 「愛」 です。愛よいうと、よいイメージがありますが、仏教では渇愛 かつあい
といって、苦しみの根源となる執着をいいます。それにもとづく取捨選択が 「取」 ということになります。これら一連の行動によって、われわれは自分の存在を複合的に認識しているわけで、それが
「有」 ということです。 こうして人は 「生き」 「老いて死に」 するのですが、この輪はどこまでもやみません。老死の次はまた無明です。初期の仏教では、生まれ変わり死に変わるする輪廻の輪を断ち切ることが目的でしたから、この輪を深く観察
かんざつ し、瞑想 めいそう
することで無明を絶とうとしたのです。つまり無明がなければすべての循環は起こらないということです。 |
〜〜
人を輪廻の中にとどめる 「十二因縁」 〜〜 |
過去世の二因
| @ 無 明 | この世が無常であることを知らず、 目に見えるものに執着する状態。 | | A
行 | 無明をもとに起こす具体的な行動。行と同じ。 | 現在
(世) の五果 | B 識 | 行
(業) を持ち越した心の状態。 または、母体内で生を享ける瞬間。 | | C
名 色 | 母体内で肉体を完成させて、誕生にいたる。 | | D
六 処 | 眼・耳・鼻・舌・身・意の六つの感覚器官。 | | E
触 | 六つの感覚器官 (六処) を使って外界に接触する。 | | F
受 | 外界に接触して、様々な情報などを取り入れる。 | 現在
(世) の三因 | G 愛 | 外界から取り入れた情報について、好き嫌いの感情を持つ。 | | H
取 | 好き嫌いの感情にもとづいて取捨選択する。 | | I
有 | 愛や取によって、自分を認識している状態。 | 未来
(世) の二果 | J 生 | 執着する心を持ったまま生き、次のものごとに遭遇する。 | | K
老 死 | 生を重ねた結果としての老いと死。 これがまた無明の闇となって循環する。 |
|
そしてついに、大乗の王道である
『般若経』 が説かれる般若時となるわけです。おもしろいことに 『般若経』 は大乗経典ですが、この教判では 「蔵教 ぞうきょう
」 といわれる上座部の教えにも共通するとされています。 「空」 は仏教共通の真理だからです。 大乗仏教における 「空」 という考え方は、紀元二世紀、南インドの龍樹
(ナーガールジュナ、150〜250年頃) などにより、大きく発展いたしました。 龍樹は、八宗の祖とされる偉人ですが、若い頃にはある種の薬を全身に塗って気配を消すという
「隠身術 おんしんじゅつ 」
、つまり仙術のようなものを使って後宮 こうきゅう
に忍び込み、多数 あまた の女官と通じたという伝説が残されています。しかしあるとき一緒に忍び込んでいた三人の仲間が見つかり、処刑されてしまったことをきっかけに回心して、仏道を志したというのです。 これほど破天荒
はてんこう な人物であったが故に、その後の学問や修行が厳しく徹底したものとなったのかも知れません。龍樹は、もともと天才的な婆羅門
ばらもん 僧で、若くしてあらゆる学問や方術を修めました。そして、インド古来の伝統的な哲学、学問を土台に、転じて上座部仏教や初期の大乗仏教の教理哲学を学んでいったのです。とくに
「空」 の解析は傑出しており、一切の実在論を否定した 『中論ちゅうろん
』 、般若経典の解説書である 『大智度だいちど
論ろん 』 など、後世に影響を与え続ける仏教理論書を多く著したことで知られます。 |