ちなみみ五時というのは華厳
時じ 、阿含あごん
時じ 、方等ほうどう
時じ 、般若はんにゃ
時じ 、法華ほっけ
涅槃ねはん 時じ
であります。このうち華厳時は、お釈迦様がお悟りを開いた直後のことで、この時まず 『華厳経けごんきょう
』 が説かれましたが、その内容があまりにも深遠すぎて、聞いている聴衆はまるで分からなかったとされたいます。この 『法華経」 をもとにしているのが奈良仏教の華厳宗で、奈良の東大寺にある大仏も、
『華厳経』 の仏である毘盧びる
遮那仏しゃなぶつ とされています。次の阿含時には、上座部じょうざぶ
の教えが説かれたとされています。しかしこれは大乗仏教の立場から言えば方便ほうべん
であり、いまだ真実の教えではない、きわめて低いレベルの教えということになっています。そして、大乗的な教えである方等時になりますと、上座部の立場を批判した 『維摩経ゆいまきょう
』 などが説かれました。これはまだ、大乗仏教としては初歩のレベルです。 そしてついに、大乗の王道である 『般若経』 が説かれる般若時となるわけです。おもしろいことに
『般若経』 は大乗経典ですが、この教判では 「蔵教ぞうきょう
」 といわれる上座部の教えにも共通するとされています。 「空」 は仏教共通の真理だからです。 大乗仏教における 「空」 という考え方は、紀元二世紀、南インドの龍樹
(ナーガールジュナ、150〜250年頃) などにより、大きく発展いたしました。龍樹は、八宗の祖とされる偉人ですが、若い頃にはある種の薬を全身に塗って気配を消すという
「隠身術おんしんじゅつ 」 つまり仙術のようなものを使って後宮こうきゅう
に忍び込み、多数あまた の女官と通じたという伝説が残されています。しかしある時、一緒に忍び込んでいた三人の仲間が見つかり、処刑されてしまったことをきっかけに回心して、仏道を志したというのです。 これほど破天荒はてんこう
な人物であったがゆえに、その後の学問や修行が厳しく徹底したものとなったのかも知れません。龍樹はもともと天才的な婆羅門ばらもん
僧で、若くしてあらゆる学問や方術を修めました。そして、インド古来の伝統的な哲学・学問を土台に、転じて上座部仏教や初期の大乗仏教の教理哲学を学んでいったのです。とくに
「空」 の解析は傑出しており、一切の実在論を否定した 『中論ちゅうろん
』 、般若経典の解説書である 『大だい
智度ちど 論ろん
』 など、後世に影響を与え続ける仏教理論書を多く著したことで知られます。 |