イ
タ リ ア 病 (六) | 今度のオペラの作曲には充分な時間が取れた。九月にはザルツブルクに台本が送られて来て、ヴォルフガングは秋の間に、オペラ
《偽りの女庭師》 のほぼ全曲を書き上げてしまった。 ザルツブルクからミュンヘンへの道のりは短い。 十二月九日に発った親子は、翌日にはもう目的地に到着して、はじめて顔を合わせる宮廷劇場の総監督ゼーアウ伯爵の親切な態度に感激していた。 「ザルツブルクから、たったこれだけ離れただけで、こんなにも世間が違う。活気のあるある町とない町とでは、住んでいる人の顔つきまでが違うね!」 親子は久しぶりに味わう活気に満ちた生活の中で知り合いをたくさん作り、練習に立会い、前評判が上々なことを喜んでいた。 当初十二月二十九日に予定されていた初演は、翌年の一月十三日に延期されたが、その間に歌手たちが十分に練習出来たこともあって、公演は大成功だった。 豪華な宮廷劇場は大入り満員。アリアが終わるごとに拍手喝采と
「ブラーヴォー!」 の喚声と 「マエストロばんざい!」 の叫び。 劇場中に寄せては返す賞賛の波の中で、ヴォルフガングもレオポルトも喜びにひたった。 初演の少し前から、大司教コロレドがミュンヘンに来る、という噂が立っていた。 「何で来るんだろう」 「選帝候閣下がご招待なさったのかもしれない。あるいは猊下がひょいと思い立たれらのかも知れん。ザルツブルクからはおまえのオペラを見に沢山の人が来るから、後れを取ってはならんと思われたのだろう。いずれにしても、ゼーヴァ伯爵閣下ご自身がわたしにそう言われたのだから、お見えになることは確かなのだ」 大司教は実際にやって来たが、到着は初演の三日後の十六日の夜だった。 その日宮廷劇場では、ミュンヘンの楽長トッツイのオペラが上演されており、モーツァルト親子も観劇していた。オペラが始まってから入場した大司教は、選帝候一族のいる貴賓席に通された。 多くの目がそちらへ向き、親子も近くにいてので一同の会話が聞き取れた。 選帝候は立って大司教を向かえ、 「モーツァルトのオペラはすばらしかった。当地では誰もが
『あれほど美しい音楽は聞いたことがない』 と言っていますぞ」 と褒め称え、選帝候妃も、 「わたしがどれほど夢中になって 『ブラヴォー!』 を叫びましたが、お見せしたいほどでした」 と話していた。廷臣たちも競って、大司教が若い天才音楽家を抱えていることの幸運を祝福しており、桟敷中に祝いの言葉が飛び交っていた。 そうした賛辞に囲まれた、大司教がうろたえ困惑しているのが、はたから見てとれた。 「みっともないね、お父さん。猊下はただうなずいたり肩をすくめるだけで、何もお答えになれないじゃないか」 「あのかたはおまえの価値を全く認めていなかったので、ただただ、困り果てておられるのだ。われわれもご挨拶にいく必要はなかろう。あの中に入って行けば、猊下はなお困った立場に立たされて、大恥をかかれるだろうから」 「そこまでやってはちょっとかわいそう、か」 親子は冷ややかに、大司教のぶざまな対応をながめていた。 結局大司教は、ヴォルフガングのオペラを見ることもなくミュンヘンを去った。 ミュンヘンでは謝肉祭の期間、二十ものオペラが上演されるため、ヴォルフガングの次の出番を待ってはいられなかったのだ。 残った親子はザルツブルクから呼び寄せたナンネルと一緒に、連日のように行われる仮装舞踏会に出かけたり、選帝候の宮廷で御前演奏を行ったり、残る二回のオペラの上演に発ち合ったりして、三月のはじめまでミュンヘンに留まった。 親子の滞在があまりに長いので、ザルツブルクでは
「若いモーツァルトが選帝候に仕えるらしい」 という話しで持ち切りだったが、実際には何も起こらず、親子は三月七日ザルツブルクに戻ったのである。 |
|
|