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タ リ ア 病 (五) | 次の脱出のチャンスは、一年後にミュンヘンから差しのべられた。 バイエルン選帝候マクシミリアンV世が、その冬の謝肉祭用のオペラをヴォルフガングに注文したのだ。 「オペラが書きたかった!
オペラこそぼくの最大の喜びなんだ! イタリアではオペラを一曲書く方が交響曲を百曲書くよりも認められるっていうことを、みんなは知らなくっちゃいけない!」 ヴォルフガングは飛びあがって喜んだ。八歳のときに初めて交響曲を書いてから十八歳の今まで、彼は三十曲もの交響曲を完成させていたのに、そのことに対して、自分では何の評価も与えていなかった。 それに一生懸命交響曲を書いても、ここではそれを演奏するチャンスもないのだ。 この一年、彼は大司教に仕える宮廷音楽家として職務に忠実にはげんできたが、いったい
「ミサ曲は四十五分以内におさめるべし」 などと命じる大司教の下で、音楽を作り、演奏する喜びなど得られようか。 ── いやだ、いやだ、こんな宮廷では働きたくない!
大司教なんかクソくらえだ。 そう叫びだしたい思いを必死で抑えながら、限られた人との付き合いや、家庭音楽会や射的のゲームに小さな喜びを見い出すようつとめていたヴォルフガングに、ふたたびオペラ作曲のチャンスがめぐって来たのだ。しかも依頼主は、かつての御前演奏の長旅の時に神童ヴォルフガングを特別可愛がってくれた、マクシミリアンV世である。 このことはただちに、レオポルトに新たな期待を抱かせた。 「ミュンヘンもまた候補地のひとつだ。ヴォルフガング、これは重要な仕事になるぞ」 一家はゲトライド通りのハウゲナウアーの持家から、ザルツァハ川をへだてたハンニバル広場の新しい借家に越していた。 むかし、大司教宮廷の舞踏教師が住んでいたことから
「タンツマイスター・ハウス」 と呼ばれているその二階の八部屋を借りたのは、子どもたちが大きくなって、それぞれの部屋が必要になったからだった。 ヴォルフガングはいつの間にか十八になり、その姉ナンネルはすでに二十三歳の立派なおとなだった。 幼い時は弟と一緒に、クラヴィアの名手として御前演奏の旅に加わっていたナンネルも、二回目のウィーン旅行を終えた十七歳の年からは、ずっとザルツブルクに留まり、クラヴィアの教師としてこづかいを得ながら母親の手助けをしていた。 はじめのうちこそ、ナンネルも華やかだった過去を懐かしんでいたが、その思い出も長い年月の間に、ザルツブルクのつつましい生活の中にかすんでいった。 そして今では一家に、ヴォルフガングのことを第一に考える、という不文律があった。 |
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