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タ リ ア 病 (四) | ミラノを発つ二人は、口を利く元気も失っていた。 百八十度フィレンツェに向いていた顔を、無理やりザルツブルクにねじ曲げなくてはならない。親子そろって無収入になるのを避けるためには、大司教就任一周年記念行事がはじまる三月十四日までに帰り着かなくてはならない。 ──
何が無理で息子は雇われなかったのだろう。今度こそは確信を持っていたのに。 レオポルトは駅馬車に揺られながら、くり返しくり返し納得のいく回答を追い求め、ヴォルフガングはザルツブルクの田舎宮廷に戻らなくてはならない嫌悪感に、鳥肌の立つ思いをしていた。 三月十二日は、イアルコ渓谷を登ってブレンナー峠の頂上に着いたとき、親子は思わずうしろを振り返って。イタリアに長い別れを告げた。 たくさんの栄光、たくさんの友人、たくさんの思い出があの空の下にあった。 「これが神の摂理なのだ・・・・」 父親の言葉に歯をくいしばって向き直るヴォルフガングは、もう少年とはいえなかった。 ミラノで大公の返事を待つ間に、彼は十七歳の誕生日を迎えていたのだ。 黄色がかった建物の古い壁、どちらを向いても目に入る大小の教会、町をにらむかのように岩山の上にそそり建つ灰色のホーエンザルツブルク城。 ザルツブルクでの生活は平穏には違いなかったが、退屈と忍耐という二重の足かせを常にはめられた、我慢ならないものだった。 とりわけ、ヴォルフガングの天才を徹底的に無視しようとする大司教の態度に、親子は激しい怒りを抱いた。 ──
ここにはいたくない。 ── ここにはいられない。 親子は熱に浮かされたようにザルツブルク脱出の機会を狙い、帰省してから四か月目に大司教が領地の巡察に出かけると、さっそくその休みを利用してウィーンへと飛び出した。 ──
イタリアで失敗したのは、宮廷にいるイタリア人の音楽家たちがヴォルフガングに嫉妬して雇わせまいとしたからなのだ。そのことは、ほぼ確実だ。ならば息子はどこへ行けばいい?
ウィーンがあるではないか。マリア・テレージア陛下は息子を変わらなくご寵愛下さっている。息子のイタリアでの仕事ぶりをお話申し上げたならば、宮廷に地位を下さるとか、ふたたびオペラをご注文下さるとか、なんらかのご好意をお示し下さる筈だ。 ショックから立ち直ったレオポルトは、次の目標をウィーンの宮廷に定めた。 ちょうどその時期、ウィーンの宮廷楽長ガスマンが病にたおれたというニュースが入った。 時期を逸してはならない。 ウィーンに着いた親子は、ラクセンブルクの離宮に滞在中の皇太后マリア・テレージアに拝謁の請願を出し、およそ半月後の八月五日に離宮に呼ばれた。 「それでイタリアには何回行かれたのですか?
どの都が一番気に入られました?」 皇太后は親切に親子のイタリア旅行について尋ねてくれて、イタリアではどれほど成功をおさめたかという親子の報告を丁寧に聞いてくれたが、その態度からレオポルトは直感的に、マリア・テレージアの好意が以前と比べものにならないほど薄れていることを悟った。 ──
とてもウィーンの宮廷のことなど持ち出せる雰囲気ではない。この拝謁は何ももららしてくれないだろう。皇太后陛下は息子に、以前の半分ほどの関心もお持ちではない。なぜか?
ヴォルフガングがもう小さくないからだろうか・・・・・。 これ以上ウィーンに留まる理由は無かった。 それでも親子はずるずると帰省をのばして、持ち金も使い果たした九月の終わりにザルツブルクに戻った。 何の収穫も無い二か月半の旅立った。
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