早くも夏の盛りの八月十三日に、親子はイタリア製の貸馬車でミラノに向けて発っていた。 フェルディナント大公の婚礼は十月十五日に決定しており、その祝典用のオペラを書くためには二ヶ月前にミラノ入りしなくてはならなかったが、諸々の事情で遅れた。 今回も、寛大な大司教シュラッテンバッハ伯爵は親子の休暇を許してくれたが、さすがにほかの楽員たちの手前、レオポルトの八、九月分の給料を差し止める処置を取った。 「ひと月わずか二十八グルデン三十コロイツァーの給料だが、それは唯一のわが家の定収入だ。金は入り次第あちらから送るが、おまえたちは倹約につとめなさい。われわれも極力出費を抑えながら旅をします」 このような薄給に甘んじなくてすむためにも、今度のイタリア行きでは、ヴォルフガングの地位を決定的なものにしなくてはならない。 レオポルトは様々な案を頭にあたため、妻にだけその考えを知らせた。 「これは夫婦だけの話だ。ヴォルフガングにもナンネルにも話してはいけない。われわれがこうした考えを持っていることを決して外にさとられてはならない」 几帳面なレオポルトは、このことについて今後手紙に書くときの暗号まで取り決めて、二度目のイタリア旅行に発ったのだった。
今度の旅は目的がはっきりしていたので、経由地への滞在は出来る限り切り詰め、飛ばせるだけ馬車を飛ばした。 そのために、頑丈なことで定評のあるイタリア製の馬車を借りたのだった。 今回のアルプス越えは涼しくて楽だったが、ブレンナー峠を下ってイタリアに入ったとたんに、ひどい暑さがはじまった。 御者は宿場に着くたびに馬にたっぷりの水をやり、馬車の車体にも車輪にも水をかけたが、燃える太陽はそれをたちまち乾かしてしまった。 「ヴォルフガング、ハンカチで鼻と口をしっかり押さえなさい。この砂埃を吸ったら肺が焼けてしまう」 馬車は炎天下の街道を疾走し、昼はボーツェン、夜はトレント、翌朝はロヴェレートと、もうれつな勢いで走りつづけて、十八日にはもうヴェローナに着いていた。 ここのルジャーティ家にだけは、寄らないで行くわけにはゆかない。いまや親子の無二の親友なのだから。 暑気に当てられて、疲れ果てたレオポルトは、ルジャーティ家で二泊することにしたが、旅に興奮しきっているヴォルフガングは、昼寝もしなければ夜も遅くまで起きてクラヴィアを弾き、大好きな人たちへのサーヴィスにつとめていた。 |