こうして迎えたオペラの初日、空色の裏に金の縁どりがついた真っ赤な服のヴォルフガングがオーケストラの前に立ち、颯爽と
《序曲》 を指揮し始めた瞬間に、勝負は決まった。 すでに劇場練習の時から中傷をばら撒いていた妨害者たちは、口をつぐんでしまっていたが、きびしい聴衆たちもまた少年のオペラに、真の天才を聞いたのだ。 この夜ドゥカーレ劇場では、かつて起きたことのない大事件が起こった。 初演の晩にはアンコールをしてはいけない、という習慣を破って、プリ・マドンナの最初のアリアが熱狂的なアンコールを受けたのだ。 それが終わった後で、劇場が割れんばかりの拍手喝采と
「マエストロ (イタリア語で 「巨匠」 の意。偉大な作曲家、指導者などに贈られる賛辞) ばんざい!」 エマストリーノ
(小さな巨匠の意) の叫び声が続いた。 この熱狂は、ほとんどすべてのアリアに対して起こった。 「ヴォルフガング君の決定的な勝利です」 劇場監督のカスティリオーネ伯爵は、自身もこの反響に驚きながらレオポルトに告げた。 「オペラが喝采を得るには、たとえ、大公殿下やフィルミアン伯爵閣下が力を尽くしてくださってもだめなのです。というのも、ここにやって来る人たちは皆自分で金を払って来ていますから、自分たちの思うように判断したがるのです。しかし、これほどの成功は珍しい。巨匠といえども例がありません。ミラノ全市民がヴォルフガング君をオペラ作曲家として認めたのです。よくやりましたね、おめでとう!」 《ポンドの王ミトリイダーテ》
は二十二回も上演された。 劇場はいつも超満員で、毎晩アンコールにつぐアンコールのため終演時間は大幅に遅れた。 最初の三回の公演を指揮したヴォルフガングは、四回目からは聴衆として平土間に座ったが、その姿を見た人々は握手をもとめ、 「シニョール・マエストリーノ、ブラヴォー!
すばらしい出来です!」 「言うことなし!」 「マエストリーノの音楽は、自然の美と世にも稀な優美さで飾られています!」 と褒め称えた。 これまで部屋に閉じこもり、日夜ペンをにぎっていたヴォルフガングの生活は一変して、あちこちの貴族や知人の館に招かれては豪華なもてなしを受け、行く先々で賞賛に囲まれる華やかな日々が続いた。 このミラノ滞在の終わりに、ヴォルフガングは十五歳の誕生日を迎えた。 そのプレゼントでもあるかのように、今度はヴェローナの音楽協会から名誉ある楽長の称号が贈られて来た。ヴェローナの町が音楽家に対して、これほどの栄誉を与えるのは初めてのことだった。 さらにドゥカーレ劇場との、二年後のオペラの作曲契約が内定した。報酬も百三十ジリアート
(約七百五十グルデン) にあげられていた。 ── これで少なくとも、もう一度イタリアへ来るチャンスがつかめた。われわれは本来の目的に向かって、一歩前進したと思ってもよかろう。 ミラノを去るその日にも、親子はフィルミアン邸を訪れた。伯爵は前回のミラノ滞在の時にほのめかした
「このうえなく名誉な契約」 について、何も確定的なことは言わなかったが、その態度は信頼するに足るものがあった。 何事にも深い根回しをおこない、石橋をたたいて渡る慎重さを示す伯爵のことである。この人物が少年の
「守護神」 である限り、安心していいのだ。 |