栄光と賞賛の日々
(十) | 翌十二日にはサン・ピエトロ大聖堂で、ローマ教皇クレメンス十四世がとり行う
「洗足の式」 が行われた。 この式に参加するためにレオポルトは息子に、バラ色の絹の表地に空色の裏地、銀のレースの縁取りがついたみごとな服を着せ、自分も、薄茶色の表に緑の裏の、同じく銀レースの縁取りのついた立派な服を着た。 このような正装も作戦のうちだった。 大聖堂に着くと、イタリア中から集まった人で、中にも入れない混雑ぶりだったが、レオポルトは落ち着いて、ミケランジェロがデザインしたという色あざやかな制服を着たスイス衛兵に近づき、ドイツ語で二人分の席を作るように命じた。 その権威のある態度と立派な服装、そして少年の品のいい様子から、衛兵たちはヴォルフガングをドイツの皇子だと思い込み、二人を儀式が行われている聖堂のすぐそばまで案内して、教皇と並ぶ枢機卿たちの横に席をあつらえた。 ヴォルフガングは年配の、やさしそうな枢機卿の隣に座った。その人物はヴォルフガングうぃ見ると、イタリア語で穏やかに訊ねてきた。 「あなたはどなたですかな?
どうぞおっしゃってください」 ヴォルフガングは物怖じしない、いつも通りの礼儀正しい態度で、しかも正確なイタリア語で答えた。 「私はザルツブルクの宮廷コンサート・マスターの、ヴォルフガンゴ・アマデーオ・モーツァルトといいます。パラヴィッチーニ枢機卿様にお手紙をお渡しするために参りました」 「ほう!
ではあなたが、あの有名な子どもさんですか!」 「もしや猊下は、パラヴィッチーニ枢機卿さまではありませんか?」 「そのとおりです。これは驚いた。すでにたくさんの手紙があなたのことを知らせて来ています。それにしても、あなたはイタリア語がお上手ですね。どこで学ばれたのですか?」 たくさんの目が儀式を行う教皇よりも、えらい枢機卿と親しく話す少年の方に集まっていた。 レオポルトはうやうやしく、ボローニャでもらったパラヴィッチーニ伯爵の手紙を枢機卿に差し出すと、 「あらためてご挨拶のご訪問に伺うことをお許し下さい」 と願い出た。
枢機卿は上機嫌で面会の日を約束し、その場を去るヴォルフガングにわざわざ帽子を取って、丁寧な礼を返してくれたのだった。 つくづくひと月近くのローマ滞在の間に、レオポルトは推薦状の束を最大限に活かし、貴族や聖職者訪問の日々を送り、その間にヴォルフガングの演奏会を三回行って、これまでのどの都市にもおとらぬ大成功をおさめた。 残る最後の訪問地はナポリだが、そこへは猛暑がおとずれる前に、行って帰って来なくてはならない。 |
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