親子が、病の癒えたフィルミアン伯爵から正式な招待状を受けたのは、二月七日のことだった。 伯爵の館メルツィ邸の、豪華な天井画が描かれた大広間には、ミラノの主だった貴族たちが集められていた。 「この場でヴォルフガング君は、公的に紹介されることになります」 伯爵は五十代のおだやかな人物で口数も少なかったが、やり手の政治家だともっぱらの評判だった。 その伯爵から親子は、高齢の威厳に満ちた人物を紹介された。 「こちらは作曲家のサンマルティーニ先生です。先生はミラノの音楽界の最高の権威でおられます。このロンバルディア地方においては、先生の関与されない音楽上の催しはない、といっていいでしょう」 レオポルトは緊張した。サンマルティーニの名声は、もちろん聞いていた。 ──
この人がイタリアで最初に会う音楽界の重要人物だ。この人物がヴォルフガングの才能を試すために呼ばれていることは、まず間違いない。これは一応夜会の形をとっているが、ヴォルフガングがミラノにデビュー出来るかどうかが賭けられたきびしい試験場なのだ。 サンマルティーニが来ているからには、ほかにも重要な音楽家がいるはずだった。 しかし、レオポルトは心配していなかった。ヴォルフガングはどのような課題を出されても、見事にやり遂げるに違いない。 「それでは君に、この場でいくつか作曲してもらいましょうか」 レオポルトが予測したとおり、サンマルティーナがはじめたのは、もはや初見演奏や合奏などの初歩的な演奏技能の試験ではなく、少年がどれだけの作曲技術と知識を持っているかを調べる、きびしい高度な試験だった。 ヴォルフガングはどのような詩を出されても、どのようなスタイルで作曲することを命じられても、的確にみごとに曲を作り上げて、息を呑んで見守る人々を驚嘆させた。 最後にサンマルティーニは、深い満足感を表しながら宣言した。 「まことに信じられぬ才能です。驚くべき音楽の天才です。この少年はあらゆる作曲技術に通じているばかりか、早くもイタリアの声楽及び器楽様式を手中に収めている。この先彼がイタリア・オペラの作曲家としてみごとな腕をふるうであろうことを、わたしは確信します」 これこそ、レオポルトが求めていた言葉だった。一日も早くオペラ作曲家として認めさせたいと願う息子に、今、その洗礼が授けられたのだ。
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