再び息も凍るほどの寒さの中を、親子は旅してミラノに着いた。寒気があまりに厳しかったので、ヴォルフガングの手も鼻も口も、しもやけで真っ赤にただれてしまった。 ミラノの宿は、運河の近くにあるサン・マルコ修道院だった。ザルツブルクの修道院の紹介で、親子はここに無料で三部屋をもらうことが出来た。 荷を置くとすぐにレオポルトは修道院の近くにあるフィルミアン伯爵邸を訪ねたが、伯爵はあいにく病気のため、面会は追って通知があるまでのばされた。 「ちょうどいい機会だから、この休暇を利用して作曲の勉強に励みなさい。この旅行の一番大きな目的は、おまえがイタリア・オペラの作曲家として認められることにあるのだ。これまでウィーンやザルツブルクで磨いてきた腕を鈍らせないためにも、適当な詞を見つけてアリアを作曲してみるのです」 ヴォルフガングは喜んで父親の指示に従った。 「いいよ、パパ。それでパパはどんなのがお望み?
歌はまず歌手に合わせて書かなくては。ぼくはどんな人にでもぴったりのを書くよ。たとえばマンドヴァで聞いたプリマ・ドンナ (オペラの主役を演じる女性歌手。花形歌手)
はどう? 悪くないけど、もうお年で声が出なかったね。反対にセコンダ・ドンナン (第二女性歌手。準主役) は若かったけれど声が大きいだけだったね。ほんとうはぼくはカストラート
(去勢歌手。去勢することによって、少年のままの喉を持つ男の歌手) のために書きたいな。大司教さまはカストラートがお嫌いだから宮廷にはいなかったけれど、イタリアに来たらカストラートだらけだ。ここはカストラートの国だよ。きれいな声、美しいカンタービレ
( 「歌うように」 の意。または音楽をじゅうぶんにうたわせること) 、カストラートの出ないオペラなんて考えられないや」 「ならば、それでやってみなさい」 偶然、修道院には十五歳と十六歳のカストラートの少年たちが泊まっていた。 十四歳になろうとしていたヴォルフガングは、すでに二人と仲良くなって、一日中一緒に過ごしながら、歌ったり、遊んだり、ふざけ合ったりした。 たちまちレオポルトの機嫌が悪くなった。 「ヴォルフガング、あの子たちと付き合うのはやめなさい」 「どうして?
パパ。二人ともとても上手だよ。声もきれいだし、ぼくはあの子たちにモテット (聖書の言葉による合唱曲) を書く約束をしたんだ」 「おまえにはきちんと言っておかなくてはいけないが、大したことの出来ない若者たちとの交際は、ほどほどにしておくべきなのだ。今のおまえにとって、おとなと自由にかつ自然に付き合う方がよほどためになるのだ」 「でもぼく、あの子たちのために書きたい。約束したんだ。お願いパパ、ふたりとも待っているんだもの」 「では、その曲が出来るまでだ」 神童には神童にふさわしい交際相手がある。それがまた息子の価値を高め、評判を高めるのだ。レオポルトは経験からそう言い切れる自信があった。 それにしても、今回ヴォルフガングが素直に言うことを聞かなかったのには驚かされた。 モーツァルト家には、冗談半分に言い交わされている言葉があた。 「パパは神さまの次に偉い」 たかが旅先で知り合ったカストラートの少年たちのために、ヴォルフガングはその鉄則を破ろうとしたのだ。 |