〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part X-T』 〜 〜
== モ ー ツ ァ ル ト==
(著:ひ の ま ど か)

2017/04/20 (木) 

ブレンナー峠を越えて (五)

途中ロベレートに四日間滞在した親子が、最初の大きな目的地のヴェローナに着いたのは十二月二十七日だった。
ヴェローナの最も格式の高い旅館 「ふたつの塔」 に荷を解いたレオポルトは、さっそく推薦状や紹介状を持って有力者の家を回ろうとしたが、ここではその労は必要なかった。
すでにロヴェレートからの連絡で、モーツァルト親子が今日着くことを知った人びとは、きそって旅館に招待状を届けていたのだ。
旅館の主人がうやうやしく持って来るそれらを前にして、レオポルトはうれしい悲鳴を上げた。
財務長官のルジャーティさま、市長のミネッリさま、カルロッティ公爵さま、エミーレイ伯爵さま、フェルモ侯爵さま、ジャルディーノ伯爵さま、アッレーグ伯爵さま、ああ、そのほか沢山の方々が食事に招待くださっている。どの方からはじめればよいのか、父さんは迷ってしまう」
ヴォルフガングも喜びに目を輝かせた。
「こんあに沢山の人たちが、ぼくを待っていてくれたんだね! ぼくは早く弾きたい! みなさまを喜ばせてあげたい! だってぼくはもうイタリアが大好きなんだもの!」

はじめて訪れる土地での表敬訪問は、まず土地の有力者から始めなければならない。
こうした際のレオポルトの判断は的確だった。
翌日正装した親子は、ヴェローナの中心ナヴォナ広場の一角にあるルジャーティ邸を訪れた。財務長官のルジャーティとその一族は、ヴェローナの役所や教会関係に重要なポストを占めていた。
「ヴェローナは、ザルツブルクの天才少年音楽家をお迎えする喜びに包まれております。もうお手もとには招待状が殺到しておられましょうが、私からもご紹介さしあげたい方々が多くおられます。何よりも楽友協会の面々への紹介の労をとらせていただきたい。微力でありますが、私の力の及ぶかぎりお役に立ちたいと思っております」
その日からルジャーティは、モーツァルト親子のかたわらを離れなかった。親子が貴族たちのやかた を忙しくたずね回る時もパトロンとして付き添い、ヴォルフガングのことを熱狂的に褒め称えた。
誰もが神童を迎えてその演奏を聞きたがり、食事を共にしたかった。
一度ヴォルフガングに会い演奏を聞いた者は、一人残らず彼に夢中になった。
年が明けた1770年の一月五日には、ヴェローナの楽友協会大ホールでヴォルフガングの演奏会が行われた。これがイタリアへの正式デビューとなった。
彼は手はじめとして自作のクラヴィア (ピアノの前身楽器。鍵盤けんばん を持つ楽器の総称としても使われる) の協奏曲を初見で弾いた。
ヴォルフガングにとっては初見で弾くことなど、歩いたり食べたりするのと同じぐえあい、たやすいことだった。
その後、最新作のクラヴィア・ソナタを何曲か弾き、その場で与えられた詩をただちにアリア (オペラや宗教曲などに含まれている独唱曲) に作曲して自分で歌い、同じくその場で与えられたテーマをもとに、みごとな即興演奏をくり広げた。
その音楽の美しさ、センスのよさ、演奏技術の完璧さ、作曲技術のたくみさに人びとは驚き、感嘆して、噂に聞く天才少年を目の当たりに見る喜びに酔いしいれた。

『モーツァルト』 著:ひのまどか ヨリ
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