〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part W-]』 〜 〜
== Fryderyk Franciszgk Chopin ==
(著:小阪 裕子)

2017/03/14 (火) 

孤 独

マンチェスターでは聴衆が12000人もいた。好評を博したので、その後も演奏会の依頼が続いた。しかし、友人への手紙には 「孤独」 の字が並ぶようになった。多くの人が親切にしてくれるが、その気張りにかえって疲れてしまうとグジマワの手紙に書いてる。
九月はじめにはスターリングの姉が住む、グラスゴーのジョンストン城に向かった。九月二十七日にマーチャント・ホールで演奏会をし、共演者もいたが、チケット代は半ギニー、収入は90ポンド (約90ギニー) だった。
ショパンはさらにひどくなった体調をおして、移動を続けた。十月一日にグジマワに宛てた手紙は、 「郵便が来ない、汽車がない」 、「散歩をするための馬車すらない。ボートなし、口笛で呼ぶ犬もいない」 とある。グラスゴーからさらに北東40キロ、そこにあるスターリング嬢の親類のだい邸宅でショパンはかろうじて手紙を書いていた。気候が合わなくて、午後も二時まで何も出来ないとある。食欲もないのに、食後の談笑の輪に入らなければならない。自分に分かるようにフランス語に訳してくれるのだが、聞いているのも苦痛だ。最後になって音楽好きの貴族たちから演奏を求められるので、無造作に演奏してその場をしのいだと書いた。
やっと開放されると、召使のダニエルに背負われて二階の寝室までたどり着く。長い一日が終わった。しかし眠りについても息苦しさで目覚め、夢にうなされる。毎日がその繰り返しで、 「スコットランドの淑女たちは僕をそっとしておいてくれない・・・・・一族中連れまわすのだから」 と嘆きの言葉を手紙に並べた。三日にはまたエジンバラに戻り、翌日には生涯初めてで最後の、たった一人の演奏会をホウプタウン・ルームズで開き、大好評だったとグートマンに書いた。
『ショパン』 著:小阪 裕子 ヨリ
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