〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part W-]』 〜 〜
== Fryderyk Franciszgk Chopin ==
(著:小阪 裕子)

2017/03/14 (火) 

演奏旅行

八月五日にロンドンをたった。鉄道が発達しているので、エジンバラまで407マイル離れているのに、十二時間で到着できた。エジンバラで一泊、そこから12マイル離れたアースキン夫人の親類の邸宅コールダー・ハウスに到着した。ショパンのために用意された部屋にはブロードウッドのピアノが置かれ、五線紙もペンも豊富に揃えられていた。館は大庭園に囲まれていて、壁は厚さ18フィートもあり回廊はどこまでも続き、そこに一族の肖像画がずらりと掛けられていた。幽霊まで出るのですよと、プレイエルに書いているは、そのユーモアの裏には孤独なショパンの姿が感じられる。スコットランドは美しいところだが、ほっとすることがないとため息の聞こえそうな文が並んでいる。
親しいフォンタナへの手紙はもっと悲痛だ。かろうじて息をしている。死んでしまいそうだ、死んでしまった友人たちのことが、しきりに思い出される。親しかった人たちはみんな死んでしまった、ぼくだけが取り残されたとある。
このように最悪の心境なのに、ワルシャワの家族には配慮に満ちた手紙にすることは忘れなかった。ロンドンでの三ヶ月はほんとうに健康に過ごせた、演奏会の成功で名のある人々と知り合いになった、彼らの親切で快適にしている、と書いた。ブロードウッドは、パリのプレイエルと同じように心遣いをしてくれて、寝つきが悪いと言うとマットレスと枕を翌日届けてくれた、エジンバラに行くことを知ると車室の向かいの席まで取ってくれて、汽車の旅を楽にしてくれたともある。たしかにすべて事実だ。だが実際のところは、そのような心遣いを受け取っても、気力も体力も失せていた。だかそのようなことは決して書かなかった。
コルダー・ハウスでは、パリの新聞を毎日読めると、家族に書いて安心させた。英語に囲まれて孤独な日々なのでは、という家族の心配を知っているからだろう。八月二十八日には250マイル離れ、鉄道で八時間かかるマンチェスターで演奏会に出演することになっている。60ギニー入るので断れない。ポケットにもう百ギニーあればいいのにと家族にも収入については正直に書いている。それほどショパンは、不安定な収入が気がかりで仕方がなかったのだろう。
『ショパン』 著:小阪 裕子 ヨリ
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