〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part W-]』 〜 〜
== Fryderyk Franciszgk Chopin ==
(著:小阪 裕子)

2017/03/11 (土) 

1847年 別れの年

ショパンが一人でパリに暮らし、サンドが 『ルクレチア・フロリアニ』 を書いたことを知る人たちは二人の関係に大きな変化があらわれることを予感し、リストはマリーに二人の別れは決定的だろうかとたずねた。ちょうどそのころ、サンドがパリに到着した。
二月のはじめ、ショパンは体調を崩したが、十七日にはグジマワをその晩の内輪の演奏会に招くほど回復した。フランコムと ≪チェロ・シマタ≫ を演奏するつもりで、そこにはもちろんサンドの姿もあった。ショパンがワルシャワの家族に宛てた手紙では夏またノアンに帰るので、それまでレッスンに励むつもりだとある。この手紙にはソランジュが予定していた結婚をのばしたこと、彫刻家クレザンジェがの作品が出典され展覧会に行ったが才能を感じたこと、そのクレザンジェがサンドとシランジュの胸像を作るらしいとある。
四月になると穀物の出来が心配だからとサンドはノアンに急いで帰って行った。ショパンは一日に七人レッスンするなど仕事に励んでいたが、サンドから五月の末にはパリに行くからそれまで待っていてほしいという手紙を受け取った。

ソランジュの結婚
このころショパンがワルシャワの家族に出した手紙では、サンドが自分をおいて急いでノアンに帰ったのは、きっとソrzンジュの結婚のせいだろうと憶測している。この手紙は1847年三月の末に書き始め、出されたのは一ヶ月近くたってからだった。ショパンの馬車を使ってサンドは四月六日にノアンにソランジュを連れて帰っていった。五月初旬にサンドとノアンに向かった夏もあったので、ショパンはそろそろ夏の暑さを感じていたかも知れない。
ショパンは五月一日にやっとサンドから、ソランジュとクレザンジェが結婚するという知らせを受け取った。しかし、六月にワルシャワの家族に書いた「手紙によると、五月二日にひどい喘息になって、三週間も部屋に閉じこもったままだったとある。自分が苦しんでいる間に、ノアンではソランシュが、自分が気に入らない彫刻家と結婚してしまった、サンドは悪い人ではないが良識に欠けているのでクレザンジェを第二のミケランジェロなどと思い込んでしまったと苦々しげに書いている。クレザンジェが言った言葉だけを鵜呑みにしているが、実態は借金まみれで人格破綻者で、パリにいる芸術家にこれほど評判の悪い男はいないのに、と情けなさと怒りを手紙にぶつけている。
ショパンが苦しんでいるのに、サンドがノアンからパリに飛んで帰ってこないことを誰もがいぶかしく思った。チャリトリス公妃がショパンの様子を知らせると、ド・ロジエールに向かってどうしてすぐに知らせてくれなかったのかと、サンドは非難の口調の手紙を出した。しかし、そうは言いながらも、ショパンを一人パリに残したのは、ソランジュの結婚にショパンの意見は必要でなかったからだと、自己弁護をしている。そしてショパンの病気のことを知っても、家族を放ってパリへは行けないと書いている。ドラクロワもサンドに、ショパンはひどい喘息だったけれども回復しつつあると手紙を書いたが、やはり、どうしてサドンがショパンのもとに行かないのかと言いたかったのだろう。
サンドはショパンとのことを八年前、五千語に及ぶ手紙で相談したグジマワに、ショパンの心は詩と音楽に通じ、このような家庭内の出来事にかかわるべきではない、そう言ってほしいと頼んでいる。クレザンジェは娘にふさわしい立派な彫刻家で、このことについてショパンに相談しなくても、それは家庭内の出来事にショパンにかかわってほしくないからで、そうしなけれな母親としての自分の威信と信頼を失うからだと書く。さらに自分はショパンの病気にずっと苦しめられてきたが、ショパンを元気づけることが出来るのは自分だけで、自己犠牲の精神でショパンに対して絶対的な純潔と母性愛を注いできた。だからここはそっと見守ってほしいと、ギジマワを通じてショパンに訴えたいのだろう。
ショパン自身は病気のことをあえてサンドに知らせることはなかった。サンドに自分のことで心配をかけたくないと思ったのだろう。
ソランジュの結婚のことが知らされると、ショパンはいつものように礼儀をわきまえた手紙をサンドとソランジュに書いた。喘息の発作がおさまってなんとかペンを取れるようになると、まずサンドに 「あなたのお子さんの幸せを誰よりも願っている」 と、そしてソランジュに 「心から祝福したい」 と書いた。
ドラクロワもマルリアーニもポリーヌも、ショパンとサンドの二人の共通の友人たちは一人も、この結婚式には招かれなかった。常識的にいって情けない話だが、でもサンド夫人とはそうしう人なのだ、でも二人の幸せはひと月ともたないでしょうとも、ワルシャワの家族に書いた。
『ショパン』 著:小阪 裕子 ヨリ
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