〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part W-]』 〜 〜
== Fryderyk Franciszgk Chopin ==
(著:小阪 裕子)

2017/03/10 (金) 

小説 「ルクレチア・フロリアニ」
ショパンがこのような詩に目をとめているころ、サンドの息子モーリスはショパンの存在を疎ましく思っていることを、母に隠すことなく示すようになった。一方、母から諭されてばかりいるソランジュは、その鬱憤を晴らすかのように、ショパンの部屋で話し込んだり、馬車で散歩に誘ったりした。
いつも大切にしてきたはずのショパンが、ソランジュのわがままをを聞き入れている。それだけでサンドは苛立った。どうして自分の思いを理解して、自分のために行動してくれないのか、サンドはそうショパンに言いたかった。サンドは小説 『ルクレチア・フロリアニ』 を書き出した。
カロル・ド・オズワルド公爵とルクレチア・フロリアニが主人公で、モデルを読み手はすぐに想像した。孤独で神経質、憂鬱な表情のカロルはまさにショパンだ。一方劇作家であるルクレチアは多くの恋愛による不幸な思い出に疲れていて、その姿はサンドに重なった。社交界はこの小説に飛びついた。とうとうサンドがショパンを捨てる時が来たと色めき立った。しかし、当の本人たちは気にしていなかった。サンドが社会に話題を投げかけるのはいつものことであり、ショパンはサンドが書くものを読んでもらうことを食後の楽しみとするのが習慣だったからだ。だからいつもどおりに耳を傾けるだけで、主人公に自分を重ねることなどしまかった。
しかし、二人の友人ドラクロワは、この小説をサンドがショパンと自分のために朗読しだすと、その場を逃げ出したくなったと友人に語った。
1846年 パリの冬
1846年六月、ショパンはノアンの館をあとにした。サンドと暮らしだして恒例となった移動だが、今回も前年同様に一人だった。 ≪マズルカ≫ 四曲、≪ノクターン≫ 二曲、≪チェロ・ソナタ≫ などの成果とともに、パリでの社交、レッスン、サロンで演奏会の日々を楽しみにしての出発だ。パリに着くと、グジマワ、プレイエル、マルニアーニ、ドラクロワなどサンドと共通の友人たちの近況を書き、サンドを苦しめている偏頭痛の具合を聞くことを忘れなかった。サンドからの手紙は毎日のように来た。
手紙のうえでは以前と変わらない心遣いを互いに示してはいたが、サンドは夏の間、ショパンがあまりにもいらいらしているので、とうとう 「もううんざり」 と言ってしまったと、ド・ロジェールに書いた。
一方、ショパンもワルシャワの家族に、サンドが長年使ってきた使用人を解雇したことや、ノアンに招いてほしいポーランドの友人をサンドが呼んでくれないことへの不満を書き連ねた。
ノアンの生活への不満は、この年にはじまったことではなく、前年にショパンが雇っているポーランド人の召使と、サンドの使用人との間のいざこざにも端を発していた。結局ショパンの使用人をやめさせることになった。ショパンはノアンではほかの人たちのように遠出や化石集め、茸狩りにも興味がないので、一人館に残る日が多く退屈な時間が流れる田舎で唯一の気分転換は、自分の使用人とポーランド語で話すことだったのに、それも取り上げられた思いがしていた。
サンドのみならず 「もううんざり」 の心境になって、苛立ちを隠そうとしなくなっていた。
『ショパン』 著:小阪 裕子 ヨリ
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