〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part W-]』 〜 〜
== Fryderyk Franciszgk Chopin ==
(著:小阪 裕子)

2017/03/08 (水) 

1845年 故郷への思い
1845年の三月、ショパンはパリを離れているヴィトフィツキに手紙を書き、そこにサンドが言葉を添えて、ショパンは病気で体力をなくしている。咳がひどいのにレッスンをするのでよくならないとある。行間に漂うのは、ショパンの健康のために尽くすことへのサンドの疲れだ。
しかし、サンドはこの年もまた六月になるとショパンとノアンに帰って来た。ショパンは家族に、田舎の生活は空気が良いがつまらない、ピアノはあまり弾きません、調子がはずれているのです。作曲も少ししかしません、一年前ルドヴィカがスリッパに刺繍をしていた部屋に入ると、心ははるか彼方、故郷のマゾフシェへ向かう、そんな思い出にひたりながら、≪マズルカ≫ を作ったと書いた。
晩年にショパンに援助の手を差し伸べるロシアの貴婦人オブリェスコフが、ワルシャワを通ってパリに行くので、まず母ユスティナを、そして次にルドヴィカたちを迎えに行きたいと言ってくれているとも書いている。この計画が現実のことになるとは、ショパンはもちろん信じていない。しかし周囲の誰の目にも、ショパンが家族に会いたいと強く願っていることは明らかだった。八月の家族への手紙には、ノアンの館近くを走って行く駅馬車はどうしてルドヴィカを下ろすために止まらないのだろうかろある。
このころ書いた歌曲 ≪孤独≫ の歌詞にショパンの苦しい思いが重なる。詩はポーランドを出てパリで暮らす友人ザレキスのものだ。

私の胸から霧が漂い目に入る、あたりは暗くかすんでいる。
悲しい歌がドゥムカを口ずさみ、口を閉ざす。
静かだ、静かすぎる、悲しみのために。
何もない、私に必要なものが。
この地には安らぎも楽しさもない。
私のための太陽がなく、空がない。
私のために心を支えてくれるものが何もない。
幸せなのは愛し合うこと!
寂しい異国の地で、わたしは故郷にいるかのような夢を見る!
愛よ、愛! だがその相手がいない!
歌よ、歌! だがその相手がいない!
ときにはわたしは天を見上げる。
吹きすさぶ風をののしることはしない。
なんと寒いのか! だが、わたしの胸はときめいている。
悲しい歌がドゥムカとともに、ほかの地へ私は飛びたつのだから 

多くの知人を得て、サンドという母のような存在と暮らしても、その幸せの終わりが近づいていると歌いたいのだろうか。さまざまなすれ違いの感情が二人の間に溝をつくりはじめ、それは結局、別れに結びついていく、そうショパンは予感してザレキスの詩を手にしたのだろうか。メロディも押し殺そうとしても洩れてしまう叫びのようで、暗い未来をひとり寂しげに歌っているかのようだ。
『ショパン』 著:小阪 裕子 ヨリ
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