〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part W-]』 〜 〜
== Fryderyk Franciszgk Chopin ==
(著:小阪 裕子)

2017/03/08 (水) 

1844年 姉ルドヴィカとの再会
1844年七月、姉ルドヴィカが夫と共にポーランドからショパンのもとに来るという知らせが届いた。ショパンはパリで姉たちを待つことにした。ショパンがどれほど家族に会いたがっているか、サンドは痛いほどわかっていた。ただサンドは、ルドヴィカがショパンの様子に驚かないかを心配していた。ルドヴィカの知っているショパンはもっと健康的で、神経痛に悩むことも咳込むこともなかったからだ。さまざまな心遣いを示すサンドは、パリの自分の住まいを姉たちに提供したいとも申し出た。さらにノアンへの招待も忘れなかった。
十四年ぶりの姉弟の再会がどれほどのものだったかは想像以上で、姉と弟の話は尽きなかった。
ショパンは元気にふるまってパリを案内した。しかしやがて疲れてしまって、先にノアンに帰って、姉たちが来るのを待ちながら ≪ソナタ≫ 第三番に取り組んでいた。
ノアンに来たルドヴィカとサンドは互いの人間性に魅了されて、旧来の友のように打ち解けた。
八月末になると、ショパンはポーランドに帰る姉たちとの別れを惜しんで、パリに向かう馬車に一緒に乗った。
この秋、ショパンはパリとノアンを何度か往復するが、その間にも考えるのは姉との楽しい日々だった。望郷の念を募らせるショパンは、姉の夫が送ってくれた葉巻作りの機械のお礼をサンドの息子モーリスが書かないことなど、ちょっとしたことでもすぐに神経を苛立たせた。溺愛する息子モーリスとショパンの対立も表面化するようになって、家族の中にショパンの存在があることに、サンドは負担を感じるようになった。
しかし表面的には二人はこれまでと変わらずに、たがいを必要としているといった内容の手紙をやりとりした。サンドはあいかわらずその健康を案じながらも、十一月にショパンをひと足先にパリに送り出した。一方、ショパンはパリに着くと早々にサンドに頼まれたドレスの注文をしておいたこと、パリが大雪だから来るのを遅らせてよかったという手紙を書いた。冬のパリの寒さがこたえて、チェロ奏者のフランコムに招かれて食事に行っても、寒くてコートが脱げずに暖炉にあたっていたこと、ズボンの下にフランネルの下着を三枚も重ねるほどだとも報告した。
『ショパン』 著:小阪 裕子 ヨリ
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