〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part W-]』 〜 〜
== Fryderyk Franciszgk Chopin ==
(著:小阪 裕子)

2017/03/01 (水) 

風の家
やっと 「風の家」 tp呼ばれる家に落ち着くことが出来た。金持ちがエスタプリメンツという村に持っている別荘で、月100フランの家賃だ。ショパンはフォンタナに十一月十五日手紙を書いた。島の気候は、パリで貴族たちに人気の温室植物園のようだ。椰子、サボテン、オリーヴ、オレンジ、レモン、無花果、ザクロ。香りも高く、その色鮮やかな果物がトルコブルーの空に映える。瑠璃色をした海と、冬のパリになはい色彩を鮮やかに描いた。
娘たちの白い頭巾や細身のブラウス、そこにはたくさんの金ボタンと鎖、三つ編みにされた長い髪、それらがほっそりした体つきに似合った様子や、男たちの真っ白なシャツ、短い上着、縞柄の大きくふくらんだトルコ風ズボンの着こなしは、温暖な地にふさわしく開放的だった。
ところが、このような所で作曲に精を出したいショパンなのに、島への到着に合わせて頼んでおいたピアノが届かなかった。
十二月になって出したグジマワへの手紙では、空はすばらしく晴れわたっているのに、手紙も来なければ満足な居心地のいい住まいもないと、不満が並ぶようになる。この手紙にはサンドの追伸が付いている。ストーヴがやっと手に入ってほっとしているが、医者も薬もない、それにまだピアノが着かないとある。十月半ば過ぎにパリを出たショパンはもう一ヶ月近く鍵盤に指を走らせていないということだ。前奏曲について、フランスでの版権をプレイエルに、ドイツで版権を銀行家のレオに売ることにして、それぞれ500フラン、1000フランを前払い金として受け取り、旅費の一部にしていた。しかしピアノがなくてはその前奏曲を完成出来ない。とうとうパルマで粗末なピアノを借り。急場をしのぐことにした。
雨が降りだすと、ショパンの慰めだった気候からも裏切られるようになった。体調は日増しに悪くなる。いらいらしたショパンは、ボタンさえ法外な値段で売ろうとする島の住民を 「泥棒」 のようだと手紙に書くようになった。
咳込むショパンは医者に診てもらうことにしたが、診断はどれも悲壮なものだった。死ぬ、死にかけている、死ぬだろう、三人の医者が死という言葉を口にした。血の海に溺れないようにしないと、とフォンタナに書くほど、血を吐くことがあった。しかし、ショパン自身にはまだそれほどの絶望感はない。フォンタナに 「世界でもっとも美しい所」 、カルトゥジオ会修道院に引っ越すことになっていて、そこに行けばすべてはうまくいくようになるはずだとも書いているからだ。
『ショパン』 著:小阪 裕子 ヨリ
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