〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part W-]』 〜 〜
== Fryderyk Franciszgk Chopin ==
(著:小阪 裕子)

2017/02/25 (土) 

グジマワへの手紙
1838年の五月になるとグジマワに、前述したようにショパンは 「夜中でもお会いしたい」 との手紙を書いた。
ショパンが手紙を書いた頃、サンドは春になっていったん戻ったパリから、ふたたびノアンに帰らなければならなくなっていた。息子モーリスが病気になったからで、五月十五日にパリを出発することにした。その」前日の夜、ショパンはグジマワのところで親しい友人たちだけのために演奏をすることになった。サンドがドラクロワに出した誘いの手紙によると、ショパンの芸術を理解する人たちしか来てほしくないとある。サドンがノアンに帰ることになったので、ショパンはサドンのために演奏したのだろうか。いずれにしても、グジマワに対するショパンの切羽詰った手紙が、このサンドの行動と関係するのは確かなようだ。
ノアンに帰り着いて間もなく、今度はサドンがグジマワに向かってペンをとった。生涯に三万通ともいわれる手紙を残したサンドならではの、五千語にも及ぶ表現力あふれる長い手紙だ。
そこに語られる内容からも、ショパンの人生でサンドがどのような存在となるかを十分に暗示させるものとしても興味深い。
サンドはグジマワに臆することなく、二人の関係を語っている。すでに親密な時を二人で過ごしたこと、でもショパンにはマリアという婚約者がいるので、自分はショパンを諦めるべきだろうか、自分はマイヤベーアのオペラで息子の魂を奪おうとする悪魔のベトラルカなのだろうかと、グジマワに問うている。
ショパンが手紙でグジマワへ会ってほしいと懇願した内容は、このサンドの手紙からも憶測されるように、サンドとの交際のことだと思われる。さまざまな噂が多いサンド、会っていれば心地よいサンド、しかし自分はサンドを愛していっていいのだろうか、自ら決断を出せないショパンはグジマワの意見を聞かざるを得ない心境だったのだろう。
サンドは長い手紙の中で、ショパンが 「人間の欲望を軽視し」 「深い陶酔は愛を汚す」 と考えているようだと書いている。積極的に迫るサンドに、とまどいを感じていたのだろう。恋の経験も浅く、マリアのことで傷ついてしまったショパンと、多くの恋を経験してきたサンドとでは、それぞれのとまどいはまったく違った次元のようだ。
残念なことにショパン、サンドそれぞれに対してグジマワがどのような返事を出したのかは分からない。ただ、グジマワはショパンがマリアとの婚約を解消したことはサンドにたしかに伝えたようだ。
『ショパン』 著:小阪 裕子 ヨリ
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