〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part W-]』 〜 〜
== Fryderyk Franciszgk Chopin ==
(著:小阪 裕子)

2017/02/18 (土) 

マリア・ヴォジンスカヤ

この年 (1834年) に、ショパンは懐かしい人からの便りを受け取った。ショパンの父ミコワイの寄宿学校にいたフェリクス・ヴォジンスキからの手紙だ。ワルシャワ時代、ショパンは、ヴォジンスキ家の領地を何度か訪ねて、フェアクリスの妹のマリア (1819〜1896) にピアノを教えたことがあった。1830年の動乱でヴォジンスキ家はポーランドから逃れ、その四年後のこの年、ジュネーヴからショパンを招待する手紙が届いたのだ。
ショパンはこの時はジュネーヴには行かなかったが、その招待を感謝しいぇマリアに作曲したばかりの ≪ワルツ≫ 作品一八を書き写して送った。二人の出会いはほぼ一年後に実現することになる。
1835年の夏、ショパンの両親がカールスバードに来るという手紙が届いた。もちろんショパンは大喜びだった。感激の出会いは八月十六日の朝方で、先に来て寝ていたショパンを到着した両親が起こしに来た。何度も抱き合っては、どんなにお互いのことを考えてずっと暮らしてきたかを繰り返し語り合った。幸福の絶頂だとショパンはポーランドに残っている姉のルドヴィカに、手紙を書いた。
両親と過ごした三週間はあっという間で、ショパンは両親をポーランド国境のテッチェンまで送ることにし、その途上三人はトゥーン=ホーエンシュタイン伯爵の居城に招かれ数日滞在した。
伯爵令嬢にレッスンし、後に作品三四の一として出版される変イ長調の ≪ワルツ≫ を作って贈った。 ≪華麗なる円舞曲≫ と呼ばれる三部作の一曲だが、両親に会えて生き生きとしているショパンの喜びが伝わって来るような作品だ。=ホーエンシュタイン伯爵家でのショパンはほんとうに快活だったようだ。このワルツを贈られた令嬢のヨゼフィーネが、ショパンはひじょうに上品で控え目だが、とても楽しい人柄だと書いた手紙が残っている。なかでも物まねが上手で、変なフランス語を話すイギリス紳士になりきったショパンが登場すると、みんなで大笑いして拍手喝采となったと書いている。
次の中継地ドリスデンでは、親戚の屋敷に滞在していたヴォジンスキ家を訪問した。そこでショパンは幼いままの姿しか想像していなかったマリアが十六歳になり、ピアノ演奏に優れた魅力的な貴婦人となっていることに驚いて、その姿から目が離せない自分に気付いた。
ヴォジンスキ家は、ポーランドの肥沃なクヤウィ地方に大領地を所有している貴族で、マリアはピアノばかりでなく歌も上手だった。ショパンはすっかりマリアに魅せられ、一緒に連弾したり、アリアの歌に伴奏したり、自分の演奏を聴かせたりと、楽しい時を過ごした。
マリアには ≪ワルツ≫ 変イ長調を贈ったが、この曲は死後、作品六九の一として出版されることとなる。

『ショパン』 著:小阪 裕子 ヨリ
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