〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part W-]』 〜 〜
== Fryderyk Franciszgk Chopin ==
(著:小阪 裕子)

2017/02/12 (日) 

ショパンを愛した人々
愛、友情、女性たちからの支持にショパンはいつも囲まれていた。ワルシャワ時代には母と姉妹たちからの、それがなくなってからはパリで出会った人々からのものだった。パリに到着早々、彼を出迎えた一人にデルフィナ・ポトツカ伯爵夫人がいた。彼女は大変美しく、音楽的才能、とくに声楽にすぐれ、ピアノも演奏した。舞踏会でもサロンでも、デルフィナの賛美者は数多く、 「あまりにも優雅な姿で見とれてしまう」 と画家ドラクロウも称賛するほどだった。ショパンはドリスデンでデルフィナの両親に出会ったが、その到着が知られると、デルフィナが十一月十七日にショパンを夕食に誘った。それは生涯を通じた長い友情の始まりだった。
プラテル公爵夫人もショパンを温かく迎えた。オンドル通にある彼らの屋敷では毎週木曜にサロンが開かれ、そこでショパンはポーランドの貴族たちやフランスの貴族、作家たち、音楽家たちに出会った。彼らの娘であるパウリーナ・プラテルが最初の弟子となった。パウリーナはみるみる上手になって、ショパンの指導力は評判となった。この後、ショパンの指導を受ける貴族の少女が少しずつ増えていくが、ショパンは才能がないと、生徒として受け入れることを拒んだ。生活の糧をレッスン料に頼ることが多いとしても、あくまでも才能を認めた人だけのために時間を使うことにしていた。
プラテル家は家族の一員のようにショパンを迎え入れてくれた。木曜日の夕べに招かれた音楽家たちの中で、リスト、フラーも歓迎され、プラテル夫人は彼ら三人にとり囲まれ、その音楽に浸っていることを楽しみとしていた。夫人は冗談めいて、ヒラーを友人にリストを愛人に、ショパンを夫にできたらいいのにと言ったという。それほど三人はプラテル家にとって格別の音楽家だったのだが、彼らは一様に励ましを受けていた。なかでもショパンは夫人の温かいもてなしに心を打たれ、作曲の励みとしたため、夫人が死んでしまったときは、悲しみに打ちひしがれることになる。
『ショパン』 著:小阪 裕子 ヨリ
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