チェリストのオーギュスト・フランコム
(1808〜1884) との出会いはショパンに新たな才能の開花をうながした。この卓越したチェロ奏者との友情が、ショパンに晩年の室内楽の傑作
<チェロ・ソナタ> を書かせる意欲の源となった。 フランコムはショパンより二歳年上で、二人を引き合わせたのはリストであった。楽器の音色ではピアノの次にチェロを愛していたショパンは、自分と同じようにもの静かで控え目なフランコム、そのすばらしさにチェロ演奏に深く心を動かされた。 ショパンがパリに到着して間もなく初演されたマイヤベーアのオペラ
<悪魔のロベール> は大人気で、楽譜製造業者のシュレザンジェがショパンに、このオペラのアリアを主題に変奏曲を書いてほしいと依頼してきた。 ショパンはフランコムの協力を得て、ピアノとチェロのための協奏曲
<マイヤベーアのオペラ <悪魔のロベール> の主題による大二重協奏曲> ホ長調を完成させることが出来た。二人の友情はショパンが死ぬまで絶えることなく続き、それを記念するかのように、ショパンは晩年に傑作
<チェロ・ソナタ> をフランコムに献呈し、二人での演奏をなによりもの楽しみとした。 ショパンが残した作曲スケッチによると、この <チェロ・ソナタ>
のヴァイオリン版も考えていたようで、フランコムとの出会いはショパンには室内楽への意欲をかきたてるものだったことがよくわかる・ |