コンスタンツヤの別れの手紙 | この頃のショパンが持ち歩いていたものに
「アルバム」 、あるいは 「ショパン・ノート」 と呼ばれるものがある。ナチス・ドイツがワルシャワを1944年に占拠した時、このノートは奪われ焼かれてしまったが、ワルシャワの国立図書館にその写しが残っている。 ショパンのさまざまな思いや出来事に対する印象などが書きとめられているほか、友人たちがショパンのために書いたものが入っている。 アルバムの九ページと十二ページに、コンスタンツヤが詩を書いた。
「悲しい運命。あなたが決めたこと。しかたがないから受け入れましょう。忘れないで。ポーランドにはあなたを愛している人がいることを」 。 十月二十五日と同じ日付の入った詩がもう一つある。
「最高の栄誉を手にするために。大切な友と愛する家族とあなたは別れる。外国人の評価は更に高く。もっと尊敬を得ることになるだろう。でも私たちほど心からあなたを愛する人などいない」。 ショパンが大切にしていた
「アルバム」 に残るコンスタンツヤのこのいな詩から、二人は出発前にはかなり親しくなっていたと考えていいだろう。コンスタンツヤからの別れの詩を贈られた一週間後、十一月二日にショパンはワルシャワを発った。ワルシャワ郊外でショパンを迎えたのは、エルスネルや友人たち、そして学生たちの一群だった。ショパンを乗せた四輪馬車を止めると、ギター伴奏の男声合唱が歌いだした。
「あなたは出ていくけれども、あなたはいつも私たちの心の中にいます」 という詩にエルネスが曲をつけたもので、ショパンを見送るためのカンタータだった。 |
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