〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part W-\』 〜 〜
== 源 氏 物 語 (巻六) ==
(著:瀬戸内 寂聴)

2017/01/28 (土) 

若 菜 ・下 (四十四)

父大臣や母北の方が驚き騒いで、別に暮らしていたのでは、とても心配で心もとないと、御自分たちのお邸にお移しになりました。
北の方の落葉の宮が、どんなにお悲しみになられたことは、その御様子もほんとうにおいたわしいことでした。
何事もなく過ごして来たこれまでの歳月は、のんきにかまえて、情の移らない夫婦仲でも先で何とかなるだろうと空頼みして、それほど落葉の宮を愛してもいらっしゃらなかったのに、さて、これが永のお別れの門出になるのかと思うと、身にしみて悲しく、自分に先立たれて北の方がお悲しみになるのは、畏れ多いことだと、たまらなく辛く思います。宮の母御息所みやすどころ も、たいそう激しくお嘆きになられて、
「世間の例から言っても、親は親として立てて置いて、まず夫婦の仲というものは、どんな時もこんな時も、決してお離れにならないのが当たり前でしょうに、こんなふうにお二人引きさかれて、すっかり御全快なさるまで長い間、あちらのお邸でお過ごしになるのは、心配でたまらないことでしょうから、もうしばらくこちらで、このまま御養生なさってみて下さい」
と、御病床の側に御几帳だけを隔てて御看病申し上げます。
「ごもっともまことです。数ならぬ分際で、普通なら及びもつかない高貴な姫宮との、御結婚を無理にお許し頂きました。そのお礼のしるしとしては、せめていつまでも長生きして、この不甲斐ないわたしの身も、少しは人並みに立身するところを御覧に入れられようかとばかり、思っておりました。それなのに実に情けないことに、こんな重い病気にかかってしまったのです。わたしの深い愛情も全く御覧になっていただけないまま死んで往くのかと思いますにつけても、もはや助からないと思いながらも、とてもあの世には旅立ちにくく思われます」
など、お互いにお泣きになって、すぐにも父大臣のお邸にお移りになれないでおりますので、また母北の方が御心配でたまらなくなり、
「どうして、誰より先に、この親たちにまっ先に会いたいとはお思いでないのでしょう。わたしは気分が少しでも悪くなり、心細い時は、たくさんの子たちの中でも、まず格別にあなたに会いたく、頼りにもしてきたのです。それなのにこのように顔も見せないのは、ほんとうに気がかりで、不安でなりません」
と、恨み言をおっしゃいますのも、またごもっともなことでございます。
「わたしが長男として弟たちより先に生まれたというせいか、親から特別に大切にされ可愛がってもらってきたのですが、いまだにわたしを可愛く思われて、しばらくでも顔を見せないと辛がられますので、病気が重くもうこれで臨終かと思われる折にお目にかかりませんのは、不幸の罪が深く、気もめいることでしょう。いよいよわたしが危篤で望みもなくなったとお聞きになりましたなら、どうかこっそりとお忍びでお出かけ下さって会って下さい。必ずまたお目にかからせていただきます。どうしたわけか愚鈍な生まれつきで、あなたに対しても何かにつけて充分とは言えぬお扱いをされたと御不満のことがおありだっただろうと、それが悔やまれてなりません。こうした短い寿命とも知らず、まだまだ行く末長いとばかり思っていましたとは」
と、泣く泣く大臣のお邸にお移りになりました。

源氏物語 (巻六) 著:瀬戸内 寂聴 ヨリ
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