〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part W-\』 〜 〜
== 源 氏 物 語 (巻六) ==
(著:瀬戸内 寂聴)

2017/01/28 (土) 

若 菜 ・下 (四十三)
今日はこうした試楽の日なので、女君たちも御見物なさいますのに、見栄えがするようにということで、御賀の当日には、赤い白橡しらつるばみ の袍に、葡萄染えびぞめ下襲したがさね を着る筈ですが、今日は、青色のほう に、蘇芳襲すおうがさね を着て、楽人三十人は白襲を着ました。
東南のほうの釣殿に続いている廊を音楽の演奏場にして、池の南の築山の側からお前のほうへ出て来ながら、仙遊霞せんゆうか という雅楽を演奏します。折から雪が少し花びらのように散り落ちるのは、春がもう隣まで訪れているようで、梅の花がいかにも美しい風情で、ちらほらほころびかけています。
源氏の院は、ひさし の間の御簾の中にいらっしゃいますので、式部卿の宮、髭黒の右大臣だけが御そばに控えていられて、それより以下の上達部たちは、簀子に居並んでいます。今日は気の張る御賀の当日ではありませんので、御馳走なども、そう大げさでなく、簡素なものをお出ししてあります。
髭黒の右大臣の四郎君、夕霧の大将の三郎君、螢兵部卿ほたるひょうぶきょうの宮の御子の二人の宮たちが、万歳楽まんざいらく を舞われました。まだとてもお小さいので、ひどく可愛らしいのです。四人ともいずれ劣らぬ高貴のお家の御子息で、容姿も美しい上に、立派に着飾らされている姿は、そう思うせいなのか格別気品が具わっています。
また夕霧の大将の御子で、典侍ないしのすけ がお産みになった二郎君、式部卿の宮の兵衛ひょうえかみ といった人で、今は源中納言げんちゅうなごんという方のお子が皇?おうじょう を、髭黒の右大臣の三郎君が陵王りょうおう を、夕霧の大将の太郎君が楽蹲らくそん を、または、太平楽らたいへいらく喜春楽きしゅんらく などという舞などの数々も、同じ御一族のお子たちや大人たちなどが舞ったのでした。
日暮れになれば、御簾を上げさせられて、舞楽の感興がますます高まる上に、お孫たちがほんとうに可愛らしい顔や姿で、舞う手ぶりも世にも珍しいほど技巧を尽くしています。お師匠たちが、それぞれ自分の技のすべてをお教えした上に、お子たちのすぐれた生来の才能が花開いてすばらしく舞われますので、どのお子もみんな可愛いと源氏の院はお思いになります。
老人の上達部たちは、皆感動して落涙しています。式部卿の宮も、お孫のことをお思いになって、お鼻の下が赤くなるほど、すすり泣き、感涙にむせんでいらっしゃいます。
主人あるじ の源氏の院は、
「年をとるにつれて、だらしなく酔い泣きするのが止められないものだ。衛門の督がこんなわたしに注目してにやにや笑っておられるのが全く恥ずかしい。しかし、あなたの若さだって今しばらくのことですよ。決して逆さまに流れてゆかないのが年月というもの。老いはどうしたって人の逃れられない運命なのです」
と言って衛門の督を見据えてじっと御覧になります。ほかの人々よりはずっと生真面目に固くなって沈み込んでいて、真実、気分もひどく悪いため、せっかくのすばらしい舞も、目にも入らない気分でいる人をつか まえて、源氏の院はわざと名指して、酔ったふりをしながら、こんなふうにおっしゃったのです。冗談のように聞こえるのですけれど、衛門の督は、いよいよ胸が張り裂けそうに動悸が激しくなり、さかずき が廻ってきても頭が痛くてたまらないので、飲むふりだけして取りつくろっています。それを源氏の院は見とがめられて、無理に盃を持たせながら、度々執拗におすすめになりますので、衛門の督は引っ込みがつかなくて困惑しきっている様子は、ありきたりの人とは格段に違っていて、さすがに優雅に見えます。
心がかき乱され、苦痛に耐え切れなくなり、衛門の督は、まだ宴席も終わらないうちに退出してしまいました。そのまま、ひどく苦しみ惑乱してくるので、
「いつものように恐ろしく悪酔いしたというのでもないのに、どうしてこんなに苦しいのか。あのことを苦にして、気がとが めていたので、のぼせてしまったのだろうか。自分ではそんなに怖気おじけ づくほどの気弱さだとは思っていなかったのに、何という不甲斐ないことか」
と、我ながら意気地ないと自覚するのでした。それは、一時の悪酔いのための苦しさではなかったのです。衛門の督はそのまま重い病気になって寝ついてしまいました。
源氏物語 (巻六) 著:瀬戸内 寂聴 ヨリ
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