衛門の督の方は、身の置き所もないほどの恥ずかしい思いで、顔色も変わっているにちがいないと感じ、お返事もとっさには出てまいりません。 「幾月もの間、方々に御病人がいらっしゃり御心痛とのお噂を承って、わたくしも蔭ながらお案じ申し上げておりましたが、日頃の持病の脚気
が、この春あたりから困惑するほどひどく悪化して、足もしっかり立たなくなってしまいました。月がたつにつれ、衰弱がますますひどく難渋しきっておりましたので、宮中へも参上もかなわず、世間ともすっかり交渉を絶ったようにして、邸に引き籠ってばかりおりました。今年は朱雀院のちょうど五十歳におなり遊ばす年なので、人よりはことに念を入れて、お年を数えてお祝い申し上げなければならぬと、父大臣も考え及んで話しておりましたが、 『すでに自分から官職を辞した身分で、人に先んじて御賀に出仕したとしても坐る席もない。官位は低くてもお前はわたしと同様に御賀に対しては深い志を抱いているだろう。その気持を御覧いただくがよい』 と、しきりにすすめられましたので、重い病体を無理におして参上したことでした。朱雀院は、今ではますます閑寂な御暮らしぶりで、仏道に御専念なさいまして、仰山な御賀の儀式などをお受けになりますようなことは、お望みでないように拝察いたしました。御賀は万事簡素になさいまして、静かに女三の宮といろいろなお話を遊ばされたいとの深い御希望を叶えさしてあげるほうが、何よりのことかと存じられます」 と申し上げますと、盛大だったと噂に聞いている落葉の宮の御賀のことを、その夫として自分が行ったとはいわず、父の思い立ちのように言うところも、心づかいが行き届いていると源氏の院はお思いになります。 「こちらの女三の宮の御賀の支度は、ただこれだけで御覧の通りです。簡略すぎて、世間の人はこちらの志が浅いと思うでしょうが、そうはいってもあなたはさすがによく院の思し召しを心得ていて、そう言って下さるので、やはりわたしの考え通りでよかったと、すっかり安心出来ました。夕霧の大将は、宮中でのお役目の方はようやく一人前になってきたようですが、こうした風流めいたことに関しては、もともと生に合わないのでしょうか。朱雀院は何事にも通じていらっしゃって、不得手なものといってはおありにならない中にも、音楽の方面のことは特に御熱心で、御造詣がお深くていらっしゃるから、あなたのお話のように、すっかり俗世は思い捨てていらっしゃるようでも、雑念なくお心静かに音楽をお聞き遊ばすとなれば、今のほうがこちらはいっそう気づかいされるのです。どうか夕霧の大将と御一緒に面倒を見て、舞の子供たちの心構えやたしなみをしっかり教えてやって下さい。専門家の師匠というものは、ただ自分の専門の芸だけはともかく、さっぱり行き届かないものです」 など、いかにも親しそうにお頼みになるのは、嬉しいものの、身がすくむようにきづまりに感じられて、柏木の衛門の督は言葉少なで、源氏の院のお前から一刻も早く立ち退きたいとばかり思います。いつものように細々とお話もせず、ようやくのことでお前をすべり出たのでした。 東北の町の花散里はなちるさと
の御殿で、衛門の督は、夕霧の大将が用意していらっしゃる楽人がくにん
や舞人まいびと の当日の衣装のことなどについて、さらに新しい意匠をお加えになります。夕霧の大将が出来る限り見事に美しく用意しておられた上に、衛門の督の細心な趣向が加わりますと、さらにいっそうよくなるのを見ましても、衛門の督は、音楽の道にかけては、全く造詣の深い方でいらっしゃるのでした。 |