〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part W-\』 〜 〜
== 源 氏 物 語 (巻六) ==
(著:瀬戸内 寂聴)

2017/01/24 (火) 

若 菜 ・下 (三十九)
紫の上の大病などで、お山にいらっしゃる朱雀院の五十の御賀の御催しも延び延びになり、はじめは秋ということだったのに、八月は夕霧の大将の御母葵の上の忌月きづき に当たるので、音楽の準備などなさるのは不都合です。九月は、朱雀院の御母弘徽殿こきでん大后おおきさき のおかくれになられた月なので、十月にというおつもりでいらっしゃったろこと、今度は女三の宮がひどくお患いになられたので、また延引しました。
柏木の衛門の督の北の方になられた落葉の宮だけが、十月にはお祝いにお出向きになりました。しゅうと の前の太政大臣が万事お世話なさり、盛大ななかにもこまやかに配慮されて、儀式はきらびやかに格式高く行われました。柏木の衛門の督も、その機会に無理に気を張って出席なさいました。しかしその後もやはり気分がすぐれず病気がちにお過ごしになります。
女三の宮もあれから引きつづいて肩身が狭く気おくれなさり、ただもう悲しくて、悩みにうち沈んでいらっしゃるせいでしょうか、月が多く重なっていくにつれて、身重みおも のお体がいかにもお苦しそうにみえます。
源氏の院は、その御様子を御覧になるにつけ、例の過ちをうとましくお思いになりますけれど、一方ではいかにも痛々しくか弱いお姿で、こんなにいつまでも苦しんでいらっしゃるのを、どうなることかと御心配で、何かと悲しまれ、お心を砕いていらっしゃいます。御祈祷など、今年は何やかやと取り込みが多く、忙しくお過ごしになります。

お山の朱雀院も、女三の宮のことをお聞きになられて。いじらしく恋しくお思いになられます。ここ幾月も源氏の院が二条の院の紫の上のところにばかりいらっしゃって、六条の院の女三の宮のところにはほとんどお越しになることがないように、人が申し上げましたので、一体どうなっているのかと、お胸もつぶれるように御心配遊ばして、今更に、男女の仲のはかなさを恨めしくお思いになります。紫の上の御病気だった頃は、その看病のため源氏の院がずっとそちらにかかりきっていらっしゃるとお聞きになってさえ、やはり何となくお心がおだやかではなかったのに、
「その後も、まだ六条の院にお戻りにならないというのは、もしかしてその頃に、何か不都合なことでも起こったのだろうか。宮御自身では御存じないことでも、心がけの悪いお付きの女房たちの不心得から、何か失態があったのではないだろうか。宮中あたりなどの、ただ風雅な歌のやり取りだけの交際でも、けしからぬいやな噂が立てられるといった例もよく耳にすることだから」
とまでお考えになりますのも、俗世のわずらわしいことこまごましたことは断念遊ばした御出家でいらっしゃいますけれど、やはり親子の愛情は捨て去りにくくて、女三の宮にこまごまとお手紙を書いておあげになりました。
ちょうど源氏の院がいらっしゃる時にそのお手紙が届きましたので、それをお読みになりました。
「とりわけ用事もないから、たびたびお便りもあげないうちに、そちらの様子もわからないまま、いたずらに年月が過ぎて行くのは淋しく悲しいことです。御加減の悪い御様子を詳しく聞いてからは、念仏誦経ずきょう のお勤めの時にもあなたのことが思いやられてならないのですが、御様態は如何いかが ですか。夫婦の仲が思うようにいかず淋しい時があっても、じっとこらえておいでなさい。いい加減な噂で、はっきりともしないのに気を廻して、何もかも知っているようなふりをほのめかし、恨めしそうな顔付きを見せるのは、品の悪いことです」
など、おさとしになっていらっしゃいます。
源氏の院は、このお手紙を拝見するにつけても、朱雀院のお気持が実においたわしく、申し訳なくて、こうした内々にあった浅ましい女三の宮の不始末なことは、お耳に達するはずもないわけだから、朱雀院は、すべては自分の怠慢のせいだとばかりおとりになって、御不満でいらっしゃるだろうと、そのことばかりを考えつづけられて、
「このお返事はどうお書きになられますか。こんなおいたわしいお便りに、わたしこそほんとうに辛くてなりません。あならのことを心外だと思うことがあっても、あなたに疎略なお扱いをしていると、人に見咎められるようなことはしていないつもりです。いったい誰が院に申し上げたのでしょう」
とおっしゃいます。女三の宮は恥ずかしそうに顔をそむけていらっしゃるそのお姿もほんとうに愛らしいのです。ひどく面やつれなさり、物思いに沈みこんでいらっしゃるのが、ますます気高く美しいのでした。
源氏物語 (巻六) 著:瀬戸内 寂聴 ヨリ
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