〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part W-\』 〜 〜
== 源 氏 物 語 (巻六) ==
(著:瀬戸内 寂聴)

2017/01/23 (月) 

若 菜 ・下 (三十八)

源氏の院は、二条の院にいらっしゃいましたので、紫の上にも、今はもうすっかり仲の人のことだからと、そのお手紙をお見せになりました。
「これは何ともこっぴどくやりこめられたものだ。まったく我ながら愛想が尽きますよ。ずいぶんと様々な心細い世の中の有様を、よくも平気で見て来られたものです。世間にありふれたよもやまの事柄についても、とりとめもなく話し合ったり、四季折々につけて興をもよおし情趣を感じたことも見逃さず知らせ合い、離れていてもむつ まじく付き合える人といっては、朝顔の前斎院ぜんさいいん と、この朧月夜の君だけが残っていたのに、こんなふうに皆出家されてしまい、斎院といえば、またとりわけ余念なく勤行一途に励んでいらっしゃるようですよ。やはり、多くの女君たちの有様を見聞きしてきたなかでも、思慮深くて、しかもやさしくなつかいい点では、あの朝顔の斎院に比べられる人などはいなかった。女の子を育て上げるというのは、なかなか難しいことだ。前世からの因縁などというものは、目に見えないものだから、結婚なども親の思うようにはならない。それでも成人するまでの親の心づかいは、やはりおろそかには出来ないでしょう。それにしても、わたしはよくぞたくさんの子供を持たなかったものだ。おかげで子供のことで苦労しないですみ、ほんとによかったと思いますよ。まだ年が若かった頃は、子供の少ないのは淋しい、女の子をあれこれ面倒見て育てられたらと、嘆いた折々もあった。あなたも明石の女御の女一の宮を、よく気をつけて養育してあげて下さい。明石の女御はまだものの分別が充分でない年頃に入内なさり、こうして里下がりもない宮仕えに明け暮れておいでだから、何かにつけ、不充分な点も多いことでしょう。明石の女御の姫宮たちには、やはり人に欠点を非難されることのないようにして、生涯、平穏なお暮らしをしていただきたいものだし、それに必要な、心配のいらないだけの教養をそなえさせてあげたいものです。大した家柄でもなく、それぞれに分相応な夫を持てる普通の身分の女は、自然にその夫に助けられて無事に暮らしていけるものだけれど」
などとおっしゃいますと、紫の上は、
「わたしなど大した御後見も出来ませんけれど、生き永らえている限りは、お世話せずにいられないだろうと思っているのですけれど、どうなりますことやら、わたしの命が」
と、おっしゃって、まだお体に自信のない、何となく心細そうな表情で、思い通りに勤行なども何の障りもなくお出来になる、朝顔の斎院や朧月夜の君などを、うらや ましく思っていらっしゃいます。
「朧月夜の君に、尼用のお召物などをまだあちらでそうした物を縫い馴れない間は、こちらからさしあげるべきだが、袈裟けさ などはどういうふうに縫うものか、それを作らせて下さい。一揃いは、六条の院の花散る里の君に頼みましょう。あまりきちんとした型どおりの法衣というのは、見た目にも陰気で、馴染みにくいでしょう。しかし一応は、法衣らしい感じは失わないように仕立てさせて下さい」
などとお頼みになります。青鈍あおにび 色の法衣一揃いを紫の上のところでお仕立てさせになります。
作物所つくもどころ の役人をお呼びになって、ひそかに、尼のお使いになるお調度類にふさわしいものをはじめとして、いろいろ御用命になります。御しとね上筵うわむしろ屏風びょうぶ几帳きちょう なども、目立たぬようにこっそりと、特別に入念に用意をおさせになりました。

源氏物語 (巻六) 著:瀬戸内 寂聴 ヨリ
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