〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part W-\』 〜 〜
== 源 氏 物 語 (巻六) ==
(著:瀬戸内 寂聴)

2017/01/21 (土) 

若 菜 ・下 (三十四)

源氏の院は、例の手紙がまだ に落ちませんので、人のいない所で、繰り返し幾度も御覧になります。女三の宮にお仕えする女房たちの誰かが、あの柏木の中納言の秘蹟に似た筆つきで書いたのかとまで、考えてごらんになりますが、言葉づかいが歴然としていて、本人に違いないと思われる節々もあります。長の年月思いつづけていた恋がたまたま遂げられて、かえって不安が増し、苦しくてならないといったことを、ことばを尽くして書きつづけてある文章は、なかなか優れていて、感動的ですけれど、
「それにしても、恋文などはこうまではっきりと露骨に書いていいものか。せっかく、あれほどの立派な男が、よくもこんな手紙を不用意に書いたものだ。万一、落としたりして人目に触れることがあってはと要心して、昔、自分の若い頃などは、こんなふうにこまごまと書きたい時でも、文章を出来るだけ簡略にして、ぼんやりと書きまぎらしたものだった。そういう要心深い細心な気くばりは、なかなか出来がた いことだったにだなあ」
と、女三の宮とともに、柏木の衛門の督の浅慮をも、軽蔑なさってしまわれたのでした。
「それにしても、これから女三の宮に、どういうお扱いをしたらいいものか。どうやら御懐妊だという御容態も、こういう不倫の恋の結果だったということか。なんという情けないことだ。こうして自分がじかにこんなうとましい秘密を知りながら、これまで通り大切にお世話しなければならないのだろうか」
と、御自分の心ながらも、前同様お世話しようとは、とても思い直すことは出来ないとお考えになります。
「軽い浮気ということで、はじめからそれほど本気で打ち込んでいない女でも、ほかに好きな男が出来たらしいと思えば、不愉快で気持が離れてしまうのに、まして、この場合は、宮が格別の身分のお方なのだから、相手の男も大それた料簡りょうけん をおこしたものだ。帝のお后と過ちを犯す例も、昔はあったけれど、それはまた事情が違う。宮仕えということで、自分も相手も同じ帝に親しくお仕えしているうちに、自然、そうした何かのいきさつがあって、互いに情を通わすようになり、ついに不始末を起こすようなこともきっと多く生まれるというものだろう。女御や更衣といった御身分の方でも、あれやこれやと、こうした面でどうかと思われる人もおり、たしなみ深い心構えの持ち主とは言えない人も中にはまじっていて、思いもよらない間違いを起こすこともあるが、その重大な不始末がはっきり人目につかない間は、そのまま宮仕えを続けていく場合もあるので、そう急には表沙汰おもてざた にはならない不倫の情事もあるのだろう。しかし正妻としてこれ以上並ぶ者もない丁重な扱いをしてさしあげ、内心ではずっと深く愛している紫の上よりも、粗末に出来ない大切なお方としてお世話しているこのわたしをさしおいて、こんなとんでもない不始末をひき起こすとは、世間に例もないことだろう」
と、爪弾つまはじ きしたいお気持です。
「お仕えするお方がたとえ帝であっても、ただ素直に表向きのお勤めをしているという気持だけでは、後宮の生活も何となくおもしろくないので、深い愛情を見せる男の切なる求愛の言葉になびき、お互いに深い情を交わし尽くしあって、そのまま見過ごせないような折節の男の恋文に、返事もするようにあんり、自然に心が通うようになったという間柄では、同じ密通という不届きな行いであっても、まだ同情の余地もあろうか。自分のことながらも、衛門の督風情ふぜい の男に、女三の宮がまさかお心をお移しになろうとは思いもよらなかったのに」
と、非常に不愉快に思っていらっしゃるのだけれど、顔色にそれと出すべきことでもないと、あれこれお悩みになるにつけても、
「亡き桐壺院も、今の自分と同じように、お心の内では何もかもあのふじつぼの宮との密通のことをご承知でいらして、その上で知らぬふりをなさっていらっしゃったのではないだろうか。思えば、あの昔の一件こそは、何という恐ろしい、あるまじき過失だったことか」
と、身近な御自身の過去の例を思い出されるにつけ、昔から言うように 「恋の山路」 は迷うものなので、それに迷う人を非難するなど、できた義理かという、お気持もなさるのでした。

源氏物語 (巻六) 著:瀬戸内 寂聴 ヨリ
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