昼間の御座所で、しばらくお二人で横になられて、何かとお話などしていらっしゃるうちに、日が暮れました。そのまま少しお寝みになっていらっしゃいましたが、蜩
がかん高く鳴く声に目をお覚ましになられて、 「では、夜道が暗くならないうちに」 とおっしゃって、御召物をお着替えになります。女三の宮が、 「<月待ちて帰れわがせこ>
と古歌にも言っているのに」 と、いかにも初々ういうい
しいそぶりでおっしゃいますのが、いかにも可愛らしいのです。源氏の院は <その間にも見む> という歌の結句のように、女三の宮は別れにくい気持ちになっていらっしゃるのかと、いじらしくお感じになられて、お立ち止まりになります。 |
夕露に
袖ぬらせととや ひぐらしの 鳴くを聞く聞く 起きてゆくらむ (夕べの露のような涙に 袖を濡らして泣けという おつもりなのでしょうか
蜩の切なく鳴くのを聞きながら 起きてお帰りになるのは) |
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女三の宮があどけなく純なお心のままを歌にされたのも、可憐でいとしく思われましたので、源氏の院はその場にちょっと膝をついて、 「ああ困った、どうしたものか」 と、溜め息をおつきになります。 |
待つ里も
いかが聞くらむ かたがたに 心さわがす ひぐらしの声 (わたしの帰りを待っている所でも どんな想いで聞いているやら こちらでもあちらでも
人の心をかき乱す 蜩の鳴き声なことよ) |
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などと、考えて、どうしたものかと躊躇ちゅうちょ
なさって、やはり女三の宮に情つれ
なくするのもしのびなくて、その夜はお泊りになりました。 それでも紫の上のことがずっと御心配で落ち着かず、さすがに物思いに心が沈まれるので、果物などを召し上がったぐらいで、お寝になられました。 翌朝は、まだ朝の涼しいうちにお立ちになろうとして、早くからお起きになりました。 「昨夜、扇をどこかへなくしてしまって困っている。この檜扇ひおうぎ
では風が生ぬるくて」 とおっしゃって、その扇をお置きになって、昨日お二人でうたたねなさった昼の御座所のあたりを、立ち止まってお探しになりますと、お茵しとね
の少し乱れた端から、浅縁の薄い紙に書いた手紙を巻いた端が覗いています。何心なくそれを引き出して御覧になると、それは男の筆跡なのでした。 紙に薫た
きしめた香の匂いなどたいそうなまめかしく、意味あり気な文章です。二枚の紙にこまごまと書かれたのをお読みになりますと、まぎれもなく柏木の衛門の督のお手紙だとお分かりになりました。お鏡の蓋ふた
を開けてお身じまいのお手伝いをする女房などは、普通のお手紙を読んでいらっしゃるのだろうと、その事情も分からないのですが、小侍従ははっと気がつき、昨日のあのお手紙と同じ紙の色だと見ましたので、大変なことになったと胸がどきどき高鳴る気がします。 源氏の院がお粥かゆ
などを召し上がっていらっしゃる方には目もくれず、 「でも、いくら何でもあのお手紙ではないだろう。まさか、そんな迂闊うかつ
なことをなさる筈がない。あれはきっとお隠しになられたに違いない」 と強いて思おうとします。 女三の宮は何もお気がつかづ、まだお寝みになっていらっしゃいます。源氏の院は、 「何という他愛のなさか、こんなものを無造作に散らかしておいて、わたし以外の者にもし見つけられでもしたら、どうなったことか」 とお考えになるにつけても、女三の宮のお人柄を見下げてしまわれて、 「だから、言わないことではない。全く思慮深さの欠けたお人柄を、かねがね気がかりで案じていたのだ」 とお思いになります。 源氏の院がお出ましになった後、女房たちも少しずつ退さが
っていきましたので、小侍従は宮のお側に近づき、 「昨日のあのお手紙はどうなさいました。今朝方院が御覧になっていたお手紙の色が、あれとよく似ていましたけれど」 と申し上げました。女三の宮は、はっとなさり、大変なことになったと、ただもう涙ばかり流していらっしゃいます。小侍従はそれを見てお可哀そうには思うものの、ほんとうに仕様のないお方だと思います。 「いったい、どこにお置きなさいました。あの時、女房たちが参りましたので、わけあり気にお側にうろうろして、妙に勘ぐられてはいけないと、それくらいのちょっとした気配にさえ気が咎めて、退がっていましたのに。源氏の院がいらっしゃったのは、あの後少し間がありましたから、その間に、お手紙はきっとお隠しになったものとばかり思っておりました」 と申し上げますと、 「いいえ、そうじゃないの、わたしが手紙を見ているところへ入っていらっしゃったから、とっさに隠すことも出来ず、あわてて茵の下に差し込んでおいたものを、すっかり忘れてしまって」 とおっしゃいます。小侍従は呆あき
れて言葉もありません。茵のそばに寄って見たところで、今さらどこにあるでしょう。 「まあ、大変なこと、あのお方も源氏の院をとて怖がり、憚はばか
っていらっしゃって、ほんの少しでもこのことが源氏の院のお耳に入るようなことがあってはと、すっかり恐れ怯えていらっしゃいましたのに、はやもう、こんなことが起こってしまったではありませんか。大体宮さまがいつまでも子供っぽくたわいない御性分で、あのお方にも、うっかりお姿を見られてしまったのがことの起こりです。あれ以来、ずっと、衛門の督は宮さまに恋いこがれて、わたしが手引きをしないといって、恨み言を言い続けましたけれど、まさかこうまで深い御仲になろうとは、思いもよりませんでした。どなたのおんためにも困ったことになりました」 と遠慮もなくずけずけ申し上げます。女三の宮はきの置けない初々しいところがおありなので、小侍従もつい気安く思い、無遠慮になっているのでしょう。 宮はお返事もなさらないで、ただもう泣きむせぶばかりでいらっしゃいます。ほんとうに御気分もお悪そうで、ほんのわずかのお食事も召し上がらないので、女房たちは、 「これほどお加減を悪くしていらっしゃるのに、源氏の院は見捨ててお置きになられて、今はもうすっかり御全快になられた紫の上のお世話ばかりを、何と御熱心になさいますこと」 と、恨みがましく思い、話しております。
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