〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part W-\』 〜 〜
== 源 氏 物 語 (巻六) ==
(著:瀬戸内 寂聴)

2017/01/16 (月) 

若 菜 ・下 (二十七)
女三の宮の御加減がお悪いようだという知らせを、源氏の院はお聞きになられて、たいそう御心配な紫の上の御病気に加えて、また女三の宮までどうしたことかと驚かれて、六条の院へお帰りになりました。
女三の宮は、どこといって苦しそうな御様子もお見えでなく、ただひどく恥ずかしそうにふさぎこんで、まともにお顔をお見せになろうともなさいません。源氏の院はそんな女三の宮の御様子に、久しくこちらへお訪ねしなかったのを、恨んでいらっしゃるのかといじらしくて、女三の宮の御病状などをお話なさって、
「もうこれが最後かも知れません。この に及んで薄情な扱いをしたと思われたくありませんので、あちらに付っきりになっているのです。幼い時から面倒を見てきて、今更捨ててもおけませんので、この幾月、何もかも打ち捨てたようにして看病しているのです。いずれこうしたことが一段落しましたら、自然にわたしの真心も見直していただけることでしょう」
などとお話しなさいます。源氏の院がこんなふうで、あの衛門の督との密会に全くお気づきにならないのが、お気の毒でもあり、心苦しくお思いになって、女三の宮は人知れず涙ぐまれるのでした。

衛門の督は女三の宮にもまして、なまじああした逢瀬おうせ を遂げたばかりに、かえって恋しさ辛さがつのるばかりで、寝ても覚めても、明けても暮れても、恋いわび悩み続けていらっしゃいます。
賀茂のの祭りの日などは、先を争って見物に出かける公達が連れだって、来て誘いそうだとあれこれ言ってそそのましますけれど、病気のふりを装って、沈み込んで床についていらっしゃるのでした。
北の方の女二の宮を、表向きは丁重に敬いかしずいていらっしゃるように扱って、実はほとんど打ち解けてむつ まじくはなさらず、御自分の部屋に引きこもっていて、ただ何をするでもなく心細そうにふさぎこんでいらしゃいます。そんな時、女童めのわらわ の持っているあおい にお目をとめられて、
くやしくぞ つみをかしける 葵草あふひぐさ  神のゆるせる かざしならぬに
(ああ悔やまれることよ あのお方を無理無体に 犯してしまった深いわが罪 神がおゆるしにならぬ 葵草なのに摘んでしまった)
と思うにつけても、かえって恋しさがつのるばかりです。外から伝わってくるにぎ やかな車の往来ゆきき の音なども、よそごとのように聞こえて、誰のせいでもない自ら招いた所在のない一日を、絶えがたく長くお感じになります。
女二の宮も、こうした衛門の督のそぶるのいかにも不興気な様子を見馴れてはいらっしゃるものの、本当の事情はお分かりにならないままに、あまり自分をないがしろにした心外な扱いを受けることに、口惜しく、憂鬱なお気持ちなのでした。
女房たちは皆、祭見物に出かけてしまって、邸内は人影も少なく、もの靜なので、ぼんやりと物思いにふけりながら、そう の琴をやさしい音色で、弾くともなく弾いていらっしゃる女二の宮の御様子は、さすが内親王だけに気品が備わり、優雅でいらっしゃいますが、衛門の督は、
「どうせ同じことなら、あちらの女三の宮をおただきたかったのに、今ひとつ自分の運が足りなかったのだ」
と、まだ悔やんでいらっしゃいます。
もろかづら 落葉を何に ひろひけむ 名はむつましき かざしなれども
(桂と葵の両蔓もろかずら挿頭かざし のように 仲良く並んだ姉妹の中から どうして見栄えのしない 落葉のようなかた を 拾ってしまったのだろう)

と、手すさびに書き流しているのは、女三の宮にずいぶん失礼な陰口です。
源氏の院は、ごくまれにしか六条の院にいらっしゃいませんので、来てすぐ二条に院へお帰りになるわけにもいかず、紫の上のことが気がかりで、そわそわしていらっしゃいます。
そこへ使いが来て、
「只今、紫の上の息が絶えておしまいになりました」
と告げました。源氏の院はもう何の分別のつかず、お心も真っ暗になって二条に院へお帰りになります。道中ももどかしく心も空にお着きになりますと、なるほど二条の院では、近くの大路まで人があふれて騒いでいます。
邸内からは人々の泣きわめく声が聞こえ、いかにも不吉な感じです。我を忘れて内へお入りになりますと。女房が、
「この二、三日は、少しおよろしいようにお見受けしていましたのに、急にこんなことになってしまわれまして」
と言って、お仕えしている女房たちが残らず、自分も死出のお供をしたいと泣き惑う有様は、この上もありません。
御祈祷の多くの壇も取り壊して、修法ずほう の僧たちも、どうしても必要な人たちだけは残り、臨時に召された僧たちはばらばらと帰り支度にざわめいているのを御覧になると、源氏の院は、やはり、もう駄目なのだと、断念なさるのでした。その情けなさは、何にたとえようもありません。
「たとえ息が絶えたとしても、もの のしわざということもある。そんなにむやみに騒ぎたてるものではない」
と、人々をお静めになり、益々あらたかな願の数々を新たにお立てさせになります。験力の秀れた験者げんざ たちを残りなく呼び集められます。僧たちは、
「たとい御定命が尽きて、この世での御生命が終わられたとしても、ただ、もう少しばかりお命をお延ばし下さい。不動尊はおまわのきわ に人の命をのばして下さるという御本願をお立てになりました。せめてその日数ひかず だけでも、この世にお引止めになって下さい」
と、頭からほんとうに黒煙を立てて、必死に強い法力を奮い立たせて、加持祈祷をしてさしあげます。源氏の院も、
「せめてもう一度お目をあけて、わたしの目を見て下さい。あまりにあっけなく、御臨終にさえお逢い出来なかったことが、たまらなく悔やまれて悲しいのに」
と、取り乱していらっしゃる御様子は、とても御自分のお命さえ保てそうにもありませんので、それを拝するお側の人々の切なさは、ただもうお察しいただくしかありません。

源氏物語 (巻六) 著:瀬戸内 寂聴 ヨリ
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