〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part W-\』 〜 〜
== 源 氏 物 語 (巻六) ==
(著:瀬戸内 寂聴)

2017/01/12 (木) 

若 菜 ・下 (二十一)

紫の上は、いつものように源氏の院がお留守の夜は、遅くまで起きていらっしゃり、女房たちに物語などを読ませて、お聞きになります。
「こうして、世間によくある例として、いろいろ書き集めた昔の物語にも、浮気な男、女に目のない男、不実な二心ある男などに関わりあった女など、こんな話をたくさん書いてあるけれど、結局は最後に頼れる男が現れて落ち着くものらしいのに、わたしはなぜか、寄り辺もない浮き草のように過ごしてきてしまった。たしかに、源氏の院がおっしゃるように、人並みすぐれた幸運にも恵まれた身の上だけれど、ほかの女なら、とても耐え難く、満たされることのない悩みにつきまとわれて、生涯を終るのだろうか。なんと情けなく味気ないことか」
などと悩みつづけて、夜もすっかり更けてからようやくお寝になりました。その未明から、お胸が痛くなられお苦しみになります。
女房たちが御介抱するのに困りきって、
「源氏の院にお知らせ申し上げましょう」
と紫の上に申し上げますのに、
「そんなことはしないように」
とお止めになって、たまらない苦痛をこらえながら、朝を迎えられました。お体は熱でほてって、御気分もひどくお悪いのに、源氏の院がなかなかお帰りにならない間、これこれとお知らせも申し上げません。
明石の女御のもとから、お便りがありましたので、女房が、
「このように御病気でお苦しみです」
と、お返事申し上げました。女御が驚かれて、そちらから源氏の院にお伝えになりました。源氏の院は胸もつぶれる思いで急いでお帰りになりました。紫の上はひどくお苦しそうにしていらっしゃいます。
「どんな御気分なのですか」
と、お体にさわってごらんになると、あまりに熱を持っていらっしゃるので、昨日厄年のことで御用心なさらなければとお話ししたことなど、お思い合わせになって、ほんとうに恐ろしくお思いになります。おかゆ など御朝食はこちらの部屋でさし上げましたけれど、源氏の院は、見向きもなさらず、日がな一日お側に付きっきりで、何かと介抱をなさり、お心を痛めていらっしゃいます。
ちょっとした果物でさえ、お口になさるのをとてもいや がられて受けつけないまま、起き上がることも出来なくなり、寝ついておしまいないなって、日が過ぎていきました。
源氏の院は、どうなることかと御心配なさって、病気平癒の御祈祷ごきとう などを、数知れず始めさせられます。僧侶を呼ばれて、御加持かじ などもおさせになります。紫の上はどこがどう悪いということもなく、ひどくお苦しみになって、お胸の痛みで、時々ひどい発作を起す御病状は、見るからに耐え難そうなのでした。
様々のおはら いの御祈祷を数限りなくなさいますが、効き目は見えず、重態と思われても、自然にかいほうに向かうというようなきざしでもあれば頼もしいのですが、そんな気ぶりもなく、源氏の院は、ただただ心細く悲しんでいらっしゃいます。他のことは一切お考えにもなれませんので、朱雀院の賀の準備の騒ぎも、いつとはなく静まってしまいました。
その朱雀院からも、紫の上の御病気のことをお聞き遊ばされて、お見舞いをたいそう丁重に、度々申し上げられます。

源氏物語 (巻六) 著:瀬戸内 寂聴 ヨリ
Next