〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part W-\』 〜 〜
== 源 氏 物 語 (巻六) ==
(著:瀬戸内 寂聴)

2017/01/12 (木) 

若 菜 ・下 (二十)

「それほどたくさんのひと とつきあったわけではないけれど、女の人たちのそれぞれに取り柄のある、捨て難い人柄がだんだん分かってくにつれ、心底しんそこ から性質がおっとりとして優しく穏やかな人というのは、なかなかめったにいないものだと、思い知るようになりました。
夕霧の大将の亡き母君とは、まだ幼い時に結婚して、貴い御身分の方だし、大切にしなければならないと思ったけれど、いつもしっくりした仲とはいかず、何となくよそよそしい感じで、打ち解けないまま終ってしまったのです。今から思うと、ほんとうに気の毒にも悔やまれもします。しかしそれはまた、わたしだけが悪かったのではなかったのだなどと、心の中ではひとりひそかに思い出してもいるのです。いつもきちんとしていて重々しく、どかが不満だという取り立てた欠点はなかったのでした。ただあまりにも几帳面すぎてくつろがず、やや聡明すぎたとでもいうべきでしょうか。妻として考えると信頼がおけ、一緒に暮らすには窮屈で煙ったいという人柄でした。秋好あきこの む中宮の御母六条の御息所みやすどころ こそは、並々ならず愛情深く、優艶なお人柄としては、まず第一に思い出されるお方でした。ただどうも逢うのに気がおけて、辛くなってしまうような気難しいところがありました。あちらがわたしのことを怨まれたのも当然なことがあり、それも仕方がないことでしたが、そのままずっとそのことを思いつめ長く怨み通されたのは、こちらとしてはどんなに苦しかったことか。少しも油断できず、緊張のしつづけで、お互いにのんびりと気を許しあって、朝夕仲睦まじく暮らすには、とても気のおけるところがあったので、うっかり気を許しては、馬鹿にされるのではないかと、あまり体裁ばかりつくろっているうちに、そのままついに疎遠になってしまった仲なのでした。わたしとの間にとんでもない軽々しい浮き名が立って、ひどく御名誉を傷つけ、御身分が汚されてしまった口惜しさを、それは深く思いつめていらっしゃったのがお気の毒で、確かにお人柄を考えてみても、わたしに罪があったと思っているまま、二人の仲が途絶えてしまったのです。その罪滅ぼしに、秋好む中宮を、こうした前世からの御宿縁とはいいながら、わたしがお引き立てして、世間の批難も、人の恨みも意に介さず、お力添え申し上げているのです。それを御覧下さったら、御息所もあの世からでも、わたしを見直して下さるでしょう。今も昔も、わつぃのだらしない浮気心から、相手にはおいたわしく思い、わたしとしては悔やまれることも多いのです」
と、これまで関わりのあった方々の御身の上を、少しずつお話しになられます。
「女御のお世話役の明石の君は、さほどの身分でもないと、はじめは軽く見て、気楽な相手だと思っていたのに、今では心の奥底が知られず、きりもなく深いたしなみのある人のように思われます。うわべは従順でおっとりしているように見えながら、心を許さない芯の強さを内にかくしていて、何とはなく気のおけるところがある人です」
「とおっしゃいますと、紫の上は、
「ほかのお方はお会いしたことがないので、わかりませんけれど、明石の君は、あらたまってではなくても自然御様子を目にする折もありますので、とても打ち解けにくくて、気恥ずかしくなるようなたしなみの深さが、よくわかります。わたしのたとえようもない明けっ放しの態度を、あの方がどう御覧になっていらっしゃることかと、恥ずかしいのですが、明石の女御は、わたしのことをよくわかってくださっていて、大目に見て許して下さるだろうと思っています」
とおっしゃいます。
昔、あれほど、憎らしがって嫌っていらっしゃった人を、紫の上がこうも寛大にお許しになり、お会いになったりなさるのも、明石の女御の御為を心からお思いになる真心のあまりだと、お考えになりますので、源氏の院は紫の上のお気持を、ほんとうに珍しくお感じになり、
「あなたこそ、何といっても心の奥では、すっきりしているというわけでもないのに、相手や事柄次第で、たいそう上手に二通りの心遣いを使い分けしていますね。わたしはたくさんの女の人と付き合ってきたけれど、あなたのような心ばえの人は二人といなかった。ただ御機嫌の悪さをすぐ顔に出されるけれど」
と、笑っておっしゃいます。その後で、
「女三の宮に、たいそう上手にきん をお弾きになったお祝いを申し上げましょう」
とおっしゃって、その日の夕暮に、寝殿の方にお出かけになりました。女三の宮は、自分に対して気がねをする人があろうなどとは全く思いもつかず、いたって無邪気な様子で、ひたすらお琴の練習に気を入れていらっしゃいます。源氏の院は、
「今日はもう、わたしにお暇を下さって、あなたも御休息なさい。何の師匠でも、満足させて下さってこそ弟子というものですよ。ほんとうに辛い苦労をした日頃の甲斐があって、もうすっかり安心できるまで御上達なさいましたね」
とおっしゃって、お琴を押しやり、お二人でおやす みになりました。

源氏物語 (巻六) 著:瀬戸内 寂聴 ヨリ
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