紫の上は、今年三十七歳になられました。これまで御一緒に暮らしてこられた年月のさまざまなことなども、しみじみとなつかしくお思い出しになられるついでに、 「当然必要な御祈祷など、今年は厄年
なので例年より特別になさって、御用心なさい。わたしは年中何かと忙しく取りまぎれていて、気のつかないこともあるでしょうから、御自分で色々考えて、大がかりな法要でもなさるなら、ぜひわたしにさせて下さい。こんな際、あの北山の僧都が亡くなられてしまったのが、ほんとうに残念ですなね。何かにつけて、御祈祷などお願いするのにも、実に頼りになるお方だったのに」 など話し出されます。 「わたしじしんは、幼い時から、人とは異なった運命で、特別の扱いを受けて宮中で育った上、現在、世の中の声望や日々の栄華をほしいままにしていることなども、過去に例もないほどでしたけれどもまた、世にも珍しいほど悲しい憂き目を見た点でも、人後に落ちないでしょう。まず第一に、可愛がってくれた人々に次々と先だたれ、生き残ったこの晩年になっても、不如意で悲しいことばかり多く、思い出しても味気ない、不都合な事件にかかわるにつけても、妙に悩みが絶えず、いつも不本意な思いがつきまとったまま、これまで過ぎてきたのです。その代わりに思ったよりはこんなに、長生きしているのだろうとつくづく思い知らされます。あなたは、あの一件で別離の時の苦労以外は、後にも先にも、物思いで悩んだり苦しんだりすることもなかっただろうと思います。お后でも、ましてそれより以下の地位の人なら当然、たとえ高貴の身分の方であったとしても、誰でも皆、必ず心の安まらない、苦しい悩みがつくまとうものなのです。高貴な宮仕えをしても、気苦労が多く、他の人と帝の御寵愛を争う気持が絶えなくて、心の安らぐ閑もありません。あなたは、親の家で深窓に育はぐく
まれてこられたようなもので、こんな苦労知らずの気楽さはありません。その点では、人よりはるかに幸運な星の下に生まれたということが、自分で分かっていらっしゃいますか。思いもかけず、女三の宮がこうして御降嫁ごこうか
になられたことは、何となくお辛いだろうけれど、そのことのために、かえって加わったわたしの愛情が、なすます深くなることを、あなたは御自身のことだけに、あるいは気がついていらっしゃらないかもしれませんね。それでも、あなたは物事の情理をよくわきまえていられるようだから、わかってくれていると、安心しているのですよ」 とお話しになりますと、紫の上は、 「お言葉のように、つまらないわたしのような者には分に過ぎた幸せと、人からは思われているでしょうけれど、わたしの心には耐え切れない悲しさばかりがつきまとっております。それがかえって神仏への祈りになっているのかと思われます」 とおっしゃって、なお言い残したことがたくさんありそうな御様子は、源氏の院が気おくれなさるほど奥ゆかしく見えます。 「ほんとうは、わたしももう先が短いような気持がいたしますので、厄年の今年も、こうして何気なく過ごしますのは、とても不安でなりません。以前にも申し上げました出家の件を、何とかお許し下さいますように」 と申し上げます。源氏の院は、 「それはもってのほかのことです。そんなふうにあなたが出家された後にわたしひとり残されては、何の生き甲斐があるでしょう。ただこうして、格別のこともなく平穏に過ぎていく歳月ですが、明け暮れ、何の隔てもなく睦みあって、なたと共に暮す嬉しさだけが、何にもまして代え難く思われるのです。やはりあなたを思うわたしの尋常でない愛の深さを、最後まで見届けて下さい」 とばかりおっしゃるのを、紫にの上はいつもと同じことをと、辛くてならず涙ぐんでいらっしゃいます。その御様子を、源氏の院は心からいとしく御覧になって、あれやこれやと、さまざまにお気の紛れるように慰めていらっしゃいます。 |