〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part W-\』 〜 〜
== 源 氏 物 語 (巻六) ==
(著:瀬戸内 寂聴)

2017/01/05 (木) 

若 菜 ・下 (十五)
夜が更けるにつれ、あたりは冷え冷えとしてきます。
寝待の月がわずかに顔を見せはじめたのを、源氏の院は、
「たよりない春の朧月夜おぼろづぃよ だね。秋はこんな音楽の音色に、また虫の音がまつわって一緒に聞こえるのが、何とも言えないいい情趣なので、この上もなく楽器の音に深みが増すように感じられる」
とおっしゃいます。夕霧の大将は、
「秋の夜の雲一つない明るい月の光には、あらゆるものがすっかり見渡されますので、琴や笛の音も、冴えかえって澄みきった感じに聞こえます。それでもことさらに作り合わせたような空の景色や、秋草の花に置く露などに、あれこれ目移りがして気が散り、秋のよさにも限度がございます。春の空にぼうっとかかったかすみ の間からさす朧月の光に、静かに笛の音を吹き合わせるような趣には、とても秋は及びません。笛の音なども、秋はつややかに澄み透るということがありません。女は春をいつくしむと古人の言葉にもありますが、全くその通りと思われます。楽の音がやさしく調和するという点では、春の夕暮こそが格別でございます」
と申しますと、源氏の院は、
「いや、その春秋の優劣のことよ。昔から人々が決めかねた問題なので。末世のわれわれなどが、とてもはっきり結論など出せないだろう。ただ音楽の調子や、曲については、秋のりつ の曲を、春のりょ の曲の下のものとしているのは、確かにあなたの説のような理由によるのだろう」
などとおっしゃいます。
「どうだろうね。この頃、名人として評判の誰彼が、帝の御前などで、度々演奏させられることがあるだとうが、本当の名人というのは数少なくなったようだ。自分こそはその連中より秀れていると自任している名人たちでも、実は大して会得してもいないのではないだろうか。今夜のような頼りない女君たちばかりの中にまじって弾いても、格別きわ立って優れていようとも思えない。長年こうして引き籠っているので、耳なども少し怪しくなっているのかもしれない。情けないことよ。どういうわけか、この六条の院は、学問にしろ、ちょっとした芸事にしろ、妙に習い栄えがして、よそより立派に見えてくる所なのだよ。帝の御前での晴れの管絃のお遊びなどで、第一級の名手として選ばれた人たちと、ここの女君たちと比べてどうだろう」
とおっしゃるので、夕霧の大将は、
「それを申し上げたかったのですが、ものをよくもわきまえないわたしなどが、口はばったいことを言ってはとさし控えました。遠い昔のことは聞き比べようがないせいか、柏木の衛門の督の和琴や、螢兵部卿の宮の御琵琶などを、特に世間では近頃めったにない上手とほめちぎるのでしょう。確かにお二人とも比べる者のない妙手ですが、今宵うかがいましたこちらの方々の御演奏はどなたもみなすばらしくて、実に驚き入りました。表だった催しではなく、ほんのお遊びの会だと、前から思って油断していましたので、不意をつかれてびっくりしたからでしょう。とても唱歌そうが などはつとめにくくてなりませんでした。和琴は、前の太政伊大臣お一人だけが、こうした折にも、臨機応変に、その場にふさわしい音色を出して、自由自在にお弾きになるのは、本当に最高にお上手でいらっしゃいます。しかしそれは例外でして、一般にはなかなか飛び抜けて上手には弾けない楽器ですのに、紫の上はよくもあれだけお見事に御演奏なさいました」
と、おほめ申し上げます。
「それほど大した腕とも思わないけれど、ことさらにずいぶん立派らしくほめてくれるものだね」
と源氏の院は得意げににこやかな表情で、
「確かに、まず悪くはない弟子たちですよ。特に琵琶は、わたしが差し出口するまでもない技量だけれど、やはりわたしの影響からか、何となくどこか感じが違ってきているようだ。明石の浦のような思いがけない土地ではじめて聞いた時は、めったにないすばらしい音色だと感心したものだが、あの頃よりは、また格段に上達しているからね」
と、何でも いて御自分のお手柄のように御自慢なさるので、女房などは、そっと突っつきあって、くすくす笑っています。
源氏物語 (巻六) 著:瀬戸内 寂聴 ヨリ
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