〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part W-\』 〜 〜
== 源 氏 物 語 (巻六) ==
(著:瀬戸内 寂聴)

2017/01/04 (水) 

若 菜 ・下 (十四)
月の遅くあらわれる頃なので、燈籠をあちらこちらに懸けて、ほどよい明るさに火を灯させられました。
源氏の院が女三の宮のおいでになるところをのぞ いてごらんになりますと、どなたよりもいっそういそう小柄で可愛らしく、ただお召物だけがそこにあるような感じでした。つややかな魅力という点では劣りますけれど、ただ言うに言えない気品があってお美しく、二月の二十日頃の青柳の、ほのかに緑の芽吹いぶいた枝がしだれ めたような風情があります。鶯の飛び交う羽風にも微細な枝が乱れそうにか弱げにお見えになります。桜襲の細長ほそなが に、おぐし は右からも左からもこぼれかかっているのが、また柳の糸そのままなのでした。
こうした御様子こそは、この上ない高貴なお方のお姿というものだろうと、源氏の院はお思いになります。
明石の女御は、同じように優美なお姿なのですが、今少し優艶さが加わって、物腰気配が奥ゆかしく風情のある御様子と拝見されます。よく咲き誇った藤の花が、初夏になってまわりに美しさを競う花もない、朝ぼらけの感じでいらっしゃいます。とは言え、おめでたのためふっくらとおなりでして、御気分もすぐれませんので、お琴を遠く押しやられて、脇息きょうそく にもたれかかっていらっしゃいます。小柄なお方でなよなよと脇息に寄りかかっていらっしゃいますが、脇息が並の大きさなので無理に背伸びをしていらしゃるように見えます。特に小さな脇息をお作りしてさしあげたいと思うほど、いかにもいたいたしく可憐なのでした。紅梅襲のお召物0に、おぐし がはらはらとかかっているのが美しくて、火影ほかげ に浮ぶお姿が世に二人となく可愛らしくお見えです。
紫の上は、葡萄染えびぞめ でしょうか、濃い色の小袿こうちき薄蘇芳うすすおう の細長を召して、お髪が裾にたまるほど豊かでゆるやかに流れていて、お体つきなどはほどよい大きさで御容姿のすべてに申し分がなく、あたりいっぱいに匂い映えるような美しさです。花ならば桜の花ざかりにたとえられますが、その桜よりもまだ優れていらっしゃるすばらしさは、この上もありません。
こういう方々の中では、明石に君は威圧されておしまいになりそうですが、ところが一向にそうでもなく、身ごなしなどはなかなかしゃれていて品位があり、心の底を知りたくなるような風情ふぜい で、そこはかとなく高雅な感じがして、あでやかに見えます。柳襲の織物の細長に、萌黄もえぎ らしい小袿を着て、うすもの の軽やかなのをさりげなくつけて、御同席の方々にことさらへりくだったふうにしていらっしゃいますけれど、その御様子が、女御の御生母と思うせいかお心配りも奥ゆかしくて、あなどれない感じがするのでした。
青地の高麗錦こうらいにしき で縁どりした敷物に、遠慮して端ぎわに坐り、琵琶を置いて、ほんの少しだけ軽く弾きかけます。しなやかに掻き鳴らした撥の扱いようは、音を聞く前から、たとえようもなく床しいやさしさが感じられて、五月を待つ花橘はなたちばな の、花も実もついた枝を折りとったような、清楚な薫りが匂うように思われます。
どなたもどなたも、慎み深くとりつくろった御様子をお感じになりますと、夕霧の大将も、何とかして御簾の中を覗いて見たく思われます。紫の上が、野分のわき の夕暮に垣間見た時よりも、どんなにか女盛りのお美しさを加えていらっしゃることだろうと、拝見したくて心もそわそわと落ち着きません。
女三の宮にしても、もし自分の前世からの宿縁が深ければ、結婚して御一緒に暮らすことも出来ただろうにと、あの頃の自分の決断のなまぬるさが惜しまれます。
「朱雀院は、度々、そうしたおつもりを自分にほのめかして水を向けていらっしゃったし、蔭でも人にそうおっしゃっていられたというのに」
と、今さら残念に思います。けれども少し隙の見える軽々しい感じのなさる女三の宮の御様子に、あなどるというほどではありませんけれど、それほどお心は動かないのでした。この紫の上ばかりを、何としてもとうてい手の届かない遠いお方として憧れ、長い年月を過ぎてきましたので、せめて何とかして、何の野心もない一途な好意を寄せていることだけでも認めていただけさえしたらと、それが残念で情けなくてならないのでした。
強引な大それた気持などはさらさらなく、そこはうまく心の中に感情を押さえ込んで、冷静に振舞っていらっしゃいます。
源氏物語 (巻六) 著:瀬戸内 寂聴 ヨリ
Next