〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part W-\』 〜 〜
== 源 氏 物 語 (巻六) ==
(著:瀬戸内 寂聴)

2016/12/28 (水) 

若 菜 ・下 (十一)

明石の女御にも、紫の上にも、きん は習わせていらっしゃいませんでしたので、この機会に、ふだんはめったに聞くことは出来ない秘曲をお弾きになるだろうから、ぜひお聞きしたいと明石の女御もお思いになります。なかなか帝のお許しの出ないお暇を、ほんのしばらくとお願いして、六条の院に御退出になられました。
お二人の御子がいらっしゃるところに、また御懐妊のきざしで、すでに五ヶ月におなりですから、宮中の神事などを口実に、お里下がりをなさったのでした。
十二月十一日の神事が過ぎましてからは、早くお戻りになるようにと、帝からしきりに御手紙がありましたけれど。こうしたついでに、こんな面白い夜毎の音楽の会があるのが羨ましくて、
「どうして父君は、わたしにはきん の秘曲を御伝授下さらなかったのかしら」
と、恨めしくお思いになられるのでした。
人の誉めない冬の夜の月を、源氏の院は特にお好みになるという変わった御趣味なので、趣の深い冬の夜の雪の光を観賞なさりながら、この季節にふさわしい曲の数々をお弾きになられます。お側に侍っている女房たちも、少し音楽にたしなみのある者たちには、おこと などをそれぞれに弾かせて、合奏などなさいます。
年の暮れには、紫の上などは新年の御用意でお忙しく、あちらこちらの女君たちの新春のお衣裳の支度に、どうしても御自分が世話をお焼きになることも何かとおありですから、
「いずれ新春になりましたら、うららかな夕暮などに、ぜひ女三の宮のお琴の音をお聞かせいただきましょう」
といつもおっしゃっていられるうちに、その年も改まりました。
朱雀院の御賀は、まず今上きんじょう 帝の御催しが色々と多く、さぞ盛大になさることでしょうから、それと重なっては不都合だろうとお考えになり、源氏の院は、女の三宮のなさるお祝いを、少し先にお延ばしになりました。その日を二月十日余りと定められて、楽人や舞人などが六条の院に連日参上しては、絶えず音楽のお遊びがあります。
「紫の上がいつもあなたのきん の音をお聞きになりたがっているので、あの人たちのそう琵琶びわ とあんたの琴を合奏して、どうでしょう、ひとつ女楽おんながく を試みたいものですね。当節の音楽の名手たちも、とてもこの六条の院の女君たちのお手並みにはかな いませんよ。わたしは、音楽については、これといってきちんと伝授を受けたものは、ほとんどないのですが、何事によらず、何とかして知らないものはないようにしたいと、幼い時から思ったので、世間の師匠という師匠に、またいろいろな由緒ある名家に伝わった名人といわれた人々の秘伝も残らず学んでみましたが、その中で、ほんとうに造詣が深くて、こちらがとても敵わないと恐れ入るような人はいませんでした。わたしの若かったその頃よりも、近頃の若い人々は、洒落しゃれ すぎたり、気どりすぎたりするため、全く浅薄になってしまったようです。きん はまた、いっそう習う人がさっぱりなくなったとか聞きます。あなたのきん の音色ほどにも、習い伝えた人は、ほとんどいないでしょう」
とおっしゃいますと、女三の宮は無邪気にほほ笑んで、こんなに認めて下さるまでに上手になったのだと、嬉しくお思いになります。二十一、二ぐらいにおなりですけれど、まだ、とてもあどけなくて、、女としては十分に成人してはいらっしゃらず、未熟な感じがします。華奢きゃしゃ でさわれば壊れそうにか弱くて、ただ可愛らしいばかりにお見えになります。源氏の院は、
「朱雀院にも長い間お逢いしないまま、年が経ってしまったので、院にお目にかかったら、ずいぶんしっかりした大人になられたと、思っていただけるでしょう、十分気をつけてお逢いなさるのですよ」
と、何かにつけて、お教えになります。ほんとうに、こうした行き届いた親代わりの御後見がなくては、なおさらのこと、いつまでも幼じみていらっしゃる宮の御様子が、隠れようもないことだろうと、女房たちも拝するのでした。

源氏物語 (巻六) 著:瀬戸内 寂聴 ヨリ
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